メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

富国強兵のトルコ

 エルドアン氏が再選されたトルコの大統領選挙は、ほぼ政権側のメディアが予測した通りの結果になった。政権側メディアは、「エルドアン大統領の勝利は確実と思われるが、これまでの選挙と同じく拮抗した戦いになるだろう」として、支持者へ必ず投票するように呼びかけ、最後まで現実を直視しながら手綱を緩めることはなかった。
一方、反エルドアン側のメディアには、これまでと同様、「今度こそエルドアンの最期」みたいな浮かれた内容の報道が多く、その予測も現実からかけ離れた“希望”のようだった。
今回の選挙で、政権側は「強いトルコ」をスローガンに掲げている。これは「富国強兵のトルコ」と言って良いかもしれない。
昨年、7月15日の式典で、エルドアン大統領は次のように語っていた。
「この世界は奇妙な世界だ。“7月15日クーデター”によって思い知らされたが、国家として、民族として、我々は強くなければならない。・・・強くなければ、我々に一日たりとも生きる権利を与えてくれない・・・」

 例えば日本は、明治の初年に目標として掲げて以来、これまでずっと“富国強兵”でやってきたのではないだろうか。現在は、“強兵”の部分をアメリカが肩代わりしてくれているから目立たなくなっているだけで、この路線に変更はないように思える。
池田信夫氏のブログに、“民主主義も国民を戦争に総動員するための思想に過ぎなかった”といった説が紹介されていたけれど、トルコは西欧的な近代化や民主化に拘る余り、なかなか行き着けなかった“富国強兵”に、今、ようやく辿り着いたということかもしれない。
しかし、トルコは、エルドアン大統領が、その奇妙な国際秩序の中で“生きる権利”を求めているかの如く発言しているように、戦前の日本や近年のベネズエラのように、強兵や富によって米国等と真っ向から対決することはないと思う。あくまでも現実を直視しながらバランスを取るような気がする。
先月だったか、大統領府のアドバイザーであるイルヌル・チェヴィック氏は、テレビ番組で反エルドアン的な女性ジャーナリストの問いに答えて、イスラエルとの関係を“橋”に例えながら、「橋を壊してしまうのは簡単だが、再び作り直すのは難しい」と語り、関係の維持を強調していた。
ところが、女性ジャーナリストは、「そんなに簡単なら、何故壊さないのですか?」と趣旨を理解していないかのような質問を繰り返して、チェヴィック氏をひたすら困惑させていたのである。私には、この辺りにも反エルドアン派の非現実的な傾向が窺えるように思えてならなかった。 

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