メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコとEU

先日、NTVの討論番組で、ジャーナリストのオラル・チャルシュラル氏は、死刑復活への支持が40%という世論調査の結果を紹介していた。私も含めて多くの視聴者が、この数字にホッと胸をなでおろしたと思う。

しかし、支持が過半数を超えると予測する識者も多いようだ。また、少なからぬ識者が、死刑制度の復活に必ずしも反対していないところも気になる。

「公正な司法制度が実現された場合」と条件を付けられているものの、死刑が犯罪の抑止力になるという考えは、トルコでも根強いのかもしれない。

いつだったか、日本の識者が、服役をあたかも更生の為の期間と見做して、更生の機会が与えられない「死刑」に反対しているのを聞いて驚いたけれど、トルコに服役を「刑罰」と理解していない識者は、おそらく余りいないだろう。

トルコでは、死刑制度の廃絶が、EUへ従う形で実現したため、この点に不満を懐く識者もいるような気がする。いずれにせよ、死刑復活に反対しない識者は、EU加盟交渉の中止も意に介していないらしい。

そもそも、EU自体、いつまで存続するのか解らない状況になっている。

トルコは、加盟の実現云々というより、近代化の目標としてEUを掲げて来たのかもしれないが、その目標に大した魅力を感じなくなってしまうのは、やはり残念な事態であるに違いない。

日本は、欧米が未だとても魅力的だった時代に成長を遂げることができて、非常に幸いだった。

とはいえ、トルコにとって欧州は、魅力のあるなしに拘わらず、経済的な側面ばかりか、文化的にも歴史的にも、深い繋がりのある地域ではないかと思う。

オスマン帝国が経済的に依存していたのは、アナトリアや中東の領土ではなく、バルカン半島だったそうである。

歴史家のハリル・ベルクタイ氏は、救国戦争を戦った軍人たちが、アナトリアを死守しようとしたのは、帝国に残された領土がアナトリアしかなかったからだという。

ベルクタイ氏によると、救国戦争の軍人たちの出身地を調べてみれば、その多くがバルカン半島であり、後は文化的な先進地域であったシリアのアレッポ辺りを出身地とする者が数えられるだけで、アナトリアを故郷としていた者はいくらもいなかったらしい。

オスマン帝国ビザンチンの継続と見做す説もある。EUはともかく、トルコが欧州から離れてしまう可能性は、それほど心配しなくて良いかもしれない。