メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「ローザンヌ条約は勝利だったのか?」発言の背景?

昨年の11月、アタテュルクの命日を前にして、近所の家電修理屋さんは、次のように語っていた。
「今、アタテュルク主義とか言ってる連中には、ミッリがない(祖国愛がない)。でも、アタテュルクにはミッリがあった。そうじゃなかったら救国戦争に勝てるはずがない。そして、アタテュルクと一緒に戦ったのは、今のアタテュルク主義者みたいな連中じゃない。我々のようなムスリムだったのだ!」
かつて、彼みたいなイスラム傾向の強いムスリムの中には、まるでアタテュルクがオスマン帝国の歴史に終止符を打ったかのように言いながら、あからさまに嫌悪感を示す人も少なからずいたけれど、これが大分変ってきたかもしれない。
3~4年前、やはり非常にイスラム的で、教養のある友人が語ったアタテュルク主義者への批判にも、そういった変化が感じられた。
「アタテュルクも人間だから間違いはあったが、私たちはもう、その間違いについては口を閉ざして何も言わないことにした。私たちは、アタテュルクの功績だけを称えている。ところが、彼らはアタテュルクの間違いまで喧伝しようとする。そこが違う」
「アタテュルクの間違い」とは、おそらく飲酒の習慣であり、そんな「悪癖」を喧伝してはいけないとアタテュルク主義者に矛先を向け、アタテュルクに対しては、批判を避けていた。

一部のアタテュルク主義者が、アタテュルクの死因を「過度の飲酒による肝臓病」としながら、それさえ自慢げに話すのは、確かに余り好ましくないだろう。偉大なアタテュルクは、健康管理も出来ない人物だったということになってしまう。
最近の歴史的な研究によれば、アタテュルクは、過度のストレスを和らげるために晩酌を欠かさなかったものの、常に適量を維持して飲み過ぎることはなかったという。
もっとも、これを「喧伝」しているのは、その多くがAKP支持の保守派じゃないかと思う。彼らの中には、アタテュルクの早過ぎる死に、他の要因を探そうとする人もいる。つまり、アタテュルクを恐れた「外国勢力」によって一服盛られたのではないかというお得意の「陰謀説」である。
こうして、イスラム的な人たちが、徐々にアタテュルクを称賛し始めたのを、元来のアタテュルク主義者は不愉快に感じているようだ。「我々の手からアタテュルクまで奪おうとするのか?」という声も聞かれる。
ところが、7月15日のクーデター事件以降、ギュレン教団の排除が喫緊の課題になってくると、政教分離主義者・アタテュルク主義者の中からも、エルドアン大統領を支持する声が高まってきて、今度は、これに元来のエルドアン支持者たちが不愉快になっているらしい。
一部の政教分離主義者が、エルドアン大統領を支持する背景には、『イスラム的なエルドアンに任せれば、イスラム政教分離の対立という構図は避けられる』といった思惑も見え隠れしている。
また、エルドアン大統領も国家的な危機に対して、協調と和解を掲げ、左派へ歩み寄りの姿勢を見せたため、「エルドアンはなかなか良くやっている。やっと政教分離の有難さが解ってきたのか?」なんて言う人たちも現れた。これは元来の支持者にとって不愉快かもしれない。
それで、先日、エルドアン大統領が、「ローザンヌ条約は勝利だったのか?」と発言したのも、ある識者によれば、そういった支持者の人たちに向けて、『私は昔通りのエルドアンで、今でも貴方たちの側にいる』というメッセージと理解できるそうだ。
何だか深読み過ぎるような気もするけれど、どうなんだろうか?

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