メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本教/山を呼び寄せるモハメッドの話

先月の28日の駄文に、自分は俗にいう「日本教」の信者かもしれないと書いたけれど、この「日本教」という言葉は、山本七平が以下の著作で明らかにした「四教合一論的日本教徒」のようなものだと思いながら使っていた。

それから、ウィキペディアで「日本教」を調べてみたところ、「・・『日本人のうちに無意識に染み込んでいる宗教』という意味の概念を表す山本七平による造語」と記されている。山本七平は、「日本人とユダヤ人」で、既にこの概念を明らかにしていたらしい。 

「日本人とは何か」では、“不干斎ハビヤン”という16~17世紀の人物をもとに、「四教合一論的日本教徒」が説き明かされている。 

不干斎ハビヤンは、禅宗の寺で育ちながら、19歳でキリシタンとなり、「妙貞問答」という書物を著して、キリスト教の伝道に努めたものの、後に棄教して、1620年には「破提宇子(はだいうす-デウスを破す)」という反キリシタン文書を著し、その翌年に亡くなったという。

キリスト教の立場からは、単なる背教者、転向者として批判されている例も多いようだが、山本七平は、この人物を「四教合一論的日本教徒」と表現して、その宗教観が非常に日本人的だったと論じたのである。少し長くなるが、その一部を以下に引用する。

*************(以下引用)
・・・・・
海老沢有道氏は「彼(ハビヤン)の宗教信仰の主体性把握が不徹底」と評されているが、これはさまざまな意味でいえる。というのは、『妙貞問答』を通読すれば、彼の態度は「熱烈な信仰の人」というよりはむしろ冷静な「比較宗教学者」に近いからである。

・・・・中略・・・・・・・

いわばハビヤンの態度自体が、四宗教(注:神道・仏教・儒教キリスト教)を並べていずれを選択すべきか、という態度である。海老沢有道氏の言葉を借りれば「宗教信仰の主体把握」でなく、主体性は自ら保持し、四つの宗教のうちいずれを選択すべきか、という態度である。

伝道文書『妙貞問答』の結論はもちろん、「キリシタンこそ選択さるべき宗教」であり、この意味では確かに伝道文書だが、「選択」はあくまで相対的な優劣に基づくから、どの宗教も「絶対」ではなくなってしまう。その道は結局、キリスト教の絶対性への否定につながるから、後に彼が『破提宇子』を記しても不思議ではない。こうなると奇妙なことに彼は、四宗教をことごとく否定した「無宗教人」になってしまう。

『破提宇子』の「序」で彼は自らを「江湖の野子」(俗界の野人)と記し、ちょうど『妙貞問答』を裏返したような形で、これまた問答体を用いて神道・仏教・儒教を援用してキリスト教を論破した形になっているが、そのいずれの信徒であったかは、『破提宇子』をいかに読みかえしても明らかでない。またキリスト教的な「自由主義神学」を完全に捨てたわけでもないらしい。定義するとすれば「四教合一論的日本教徒」となるであろう。・・・・

***************(引用終わり)

“「選択」はあくまで相対的な優劣に基づくから、どの宗教も「絶対」ではなくなってしまう”

これは正しくそうであるような気がする。私たち日本で育った人間の多くは、信仰においても、こういった「選択」を行っているのではないだろうか? 韓国では、宣教活動によりキリスト教が急速に広まったのに対して、日本では巧く行かなかった理由として、山本七平はこれを指摘しているのである。

トルコで暮らしていると、熱心なムスリムたちが、「他の宗教やイスラムについて調べて下さい。貴方もイスラムの良さが解り、きっとイスラムを選ぶはずです」と言いながら、盛んに勧誘してくるけれど、やはり、そういった「選択」によって、絶対的な信仰を得るのは無理じゃないかと思う。

そもそも、そう勧めるムスリムの殆どは、他の宗教のことなど全く調べていないし、イスラムについても、どのくらい深く知っているのか解ったものではない。また、信仰の為には、そういう「比較宗教学者」的な態度は余り必要がないだろう。

この「他の宗教やイスラムについて調べて下さい・・・」は、最も多く使われる“ムスリムの素朴な嘘”であるように思えてならない。

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宗教に関して、トルコの人たちから問い質された場合、私は、上記の論と共に、夏目漱石の「行人」に出て来る「山を呼び寄せるモハメッドの話」を持ち出して対抗したりした。

ついでに性懲りもなく、この「山を呼び寄せるモハメッドの話」を、またここで取り上げてみたい。

「行人」に以下のような話が出てくる。我執に苦しむ主人公の一郎(兄さん)に対し、友人のH氏(私)が宗教的な信仰を勧める場面である。 

****************** (以下引用)

私がまだ学校にいた時分、モハメッドについて伝えられた下のような物語を、何かの書物で読んだ事があります。

モハメッドは向うに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せて見せるというのだそうです。それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取巻いた時、モハメッドは約束通り大きな声を出して、向うの山にこっちへ来いと命令しました。ところが山は少しも動き出しません。モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令をかけました。それでも山は依然としてじっとしていました。モハメッドはとうとう三度号令を繰返さなければならなくなりました。

しかし三度云っても、動く気色の見えない山を眺めた時、彼は群衆に向って云いました。――「約束通り自分は山を呼び寄せた。しかし山の方では来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。彼はそう云って、すたすた山の方へ歩いて行ったそうです。 
  
この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。私はいい滑稽の材料を得たつもりで、それを方々へ持って廻りました。するとそのうちに一人の先輩がありました。みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽している」と云いました。私は解らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。

私が小田原で兄さんに同じ話を繰返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽のためではなかったのです。 

「なぜ山の方へ歩いて行かない」 

私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足しました。 

「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」 

******************* (引用終わり)

私は以上の話を何人もの敬虔なムスリムの友人に話して聞かせたけれど、この話の出典が何であるのか知っている人はいなかった。「旧約聖書に出てきそうな話だ」と指摘する友人もいた。 

また、これに続くくだりで、H氏は「私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようと力めているように見えるかも知れませんが、実を云うと、私は耶蘇にもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間に過ぎないのです。宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです」と告白している。 

日本人の多くが宗教に無関心なことを不思議に思っているムスリムの友人には、この話も聞かせてから、「そもそも私たちは、“山を呼び寄せよう”なんて大それたことは考えないので、山へ向かって歩いて行く必要もありません」などと言って煙に巻いたりした。 

しかし、宗教を信じていないというトルコ人に、こういう“漫然と育った自然の野人”は余りいないのではないだろうか?

その多くは、何らかのイデオロギーを宗教の代わりにしているか、さもなければ「山を呼び寄せようとするけれど、山へ向かって歩いて行こうとはしない人」であるような気がする。

「山を呼び寄せる男、呼び寄せて来ないと怒る男、地団太を踏んで口惜しがる男、そうして山を悪く批判する事だけを考える男」が多いように思えてならない。 

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出典については、トルコの神学部の先生にも訊いてみたが、「私はそういう話を聞いたことがない」という答えだった。

これで、何処かに典拠のある話かどうかも、何だか解らなくなって来たように感じられた。ひょっとして、元の話も含めて、全てが夏目漱石の創作だったのだろうか? だとすれば、なかなか凄い話であるかもしれない。

漱石は、作中で“先輩”に、「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽している」と語らせているけれど、この部分は非常に印象的である。『確かにそうだ、宗教の本義はそこにあるのだ』と思わされてしまう。

もっとも、私は典型的な“漫然と育った自然の野人”で、あまり深く悩んだこともない。また、後から一神教を信仰するようになった人たちが、何に本義を見出して、入信を決意したのか知るよしもない。

しかし、夏目漱石は、おそらく主人公の一郎のように悩み続けた人であったに違いない。

それにも拘わらず、作中に“漫然と育った自然の野人”を作り出し、その野人に己の狂気を観察させている。そして、異様な説得力で、宗教の本義まで説いてしまう。

なんて私が感嘆しても始まらないけれど、実際、あれは漱石の創作だったのだろうか? それとも、キリスト教や旧約など、何処か他に典拠があったのだろうか? ネットで検索しても、あまり納得の行くような話は出てこなかった。とても気になる。どなたか教えて下さい。