メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

尊師の魅力?

(7月31日)

一昨日(7月29日)、ギュレン教団との関連が疑われているジャーナリストのナズル・ウルジャク氏(女性・71歳)が、滞在先のボドルムで拘束された。

ウルジャク氏は、7月15日にクーデター事件が起こるまで、ギュレン教団の実態を理解していなかったと語り、自らの過ちを認めながら、遺憾の意を明らかにした。

それまでは、抑圧される側に立つジャーナリストの信念により、教団を擁護してきたという。非常に個性的で情熱の感じられたウルジャク氏が語る言葉に嘘はないと信じたい。

ウルジャク氏が行方をくらませていたのは、逃亡というより、気持ちを整理するための時間が必要だったからではないだろうか。

多くの人たちが、ウルジャク氏と同じように、教団の実態がこれほど恐ろしいとは考えてもいなかったに違いない。

政府は以前から、教団を“フェトフッラー派テロ組織”と呼んでいたけれど、私もこれを随分大袈裟な言い方だと思った。暴力を使わない限り“テロ組織”とは言えないだろう。

教団には、教養があって紳士的で大人しい人たちが多かったから、教団とテロは容易に結びつかなかったのである。

しかし、考えて見れば、日本で“オウム真理教”が騒がれ始めた頃も、私は「少し変わっているだけで害はないじゃないか」と全く気にしていなかった。だから、サリン事件には驚いて肝を潰してしまった。

ギュレン教団も、オウム真理教ほどではないにせよ、その尊師は見るからに胡散臭そうな雰囲気を漂わせている。教団の人が如何なる美辞麗句を並べようと、私には「挙動不審なおじさん」としか思えなかった。

例えば、カリスマ的な人気のある政治家には、それなりの魅力が感じられたりする。エルドアン大統領もそうであるし、日本では田中角栄元首相がやはりそうだった。

角さんは、日中国交も含めて、今から思えば負の遺産の方が遥かに多いような気がするけれど、人間的にはとても魅力的に見えた。その周囲に信奉者が集まっていたのは充分に理解できる。

ところが、新興宗教の教祖的な人物の場合、信者さんらが何処に魅力を感じて崇めているのか、さっぱり解らなかったりする。フェトフッラー・ギュレン師もその典型である。