メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

テロリストにならずに済んで良かった

一昨日(7月29日)拙訳したこの記事からもうかがい知れるように、トルコの人たちは、西欧の余りにも冷ややかな態度に驚き、戸惑っているのではないか。
トルコを見下した西欧の冷たい態度は、日本の報道にも反映されているような気がする。
戦車を素手で押し止めて、クーデターを阻止した“英雄的な国民”による「民主主義の勝利」と謳っても良いくらいなのに、なんだか“独裁”“粛清”といった言葉ばかりが目立っている。
あれでは、“英雄的な国民”どころか、“独裁”の道具にされている“愚かな国民”になってしまいそうだ。
そして、困ったことに、そう思いたがっている人たちは、トルコの識者の中にもいる。ここから西欧は「情報」を得ているらしい。
この識者たちがエルドアンに対して怒っているのは、「愚かな国民を見下す優越感」を失いそうになっているからではないかと疑いたくなる。彼らは、“英雄的な国民”の出現に、まだ当惑しているのかもしれない。
一方で、マフチュプヤン氏も指摘しているように、“英雄的な国民”を誇りながら、西欧の態度に腹を立て、なんでも西欧の所為にしようとしている識者らにも問題はあるだろう。
しかし、教養があって、いつも西欧の情報を収集している彼らにとって、トルコを馬鹿にしきった西欧の偏向報道には堪え難いものがあるに違いない。
ニュース番組に出演して、「昨日のガーディアン紙にこんなことが書いてあった・・」と怒り心頭に発した表情で、逐一その記事をトルコ語に訳しながら解説したりしている識者を見ていると、『この人たちもタフだなあ・・』と思ってしまう。毎日、そんな記事ばかり分析していて、よく気が変にならないものである。
でも、考えて見たら、西欧で暮らしているムスリム移民の状況は、もっと厳しいだろう。教養を身に付けてしまった人たちは、新聞の論説などを読むたびに、血圧を上げているのではないか。
その中から、ついにぶち切れて、精神のバランスを失ってしまう人が出て来ても、不思議ではないような気がする。
私は良い時代に良い国に生まれたと思う。日本でも、私より上の世代には、欧米で嫌な目にあった人も少なくなかったはずだが、この先人たちの弛まない努力のお陰で日本は様々な分野で発展を遂げ、私が成人した頃には、それ相応の待遇を受けるようになっていた。
87年に初めて韓国へ行った時も、欧米の人たちが、日本と韓国の間に明らかな扱いの差をつけているのに気がついて、私は恥ずかしげもなく喜んだ。
あれで喜んでしまう人間が、差別を受け愚弄されるような厳しい状況に置かれていたら、それこそ簡単に気が狂っていたかもしれない。
今日この日まで、テロの犠牲になることもなく、まだ生きている幸せはもちろんだけれど、なにより、自分がテロリストにならずに済んだことを感謝したい。

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