メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

我々は西欧が思っているほど愚かだろうか?/エティエン・マフチュプヤン氏のコラム記事

今日(7月28日)のカラル紙のエティエン・マフチュプヤン氏の記事を読んだら、西欧の冷ややかな態度に苛立つトルコの人たちの気持ちが解るような気がして、私も憤懣やる方なかった。
しかし、マフチュプヤン氏は、西欧の態度の背景を冷静に分析して、トルコがどのように対応すべきかを説いている。
AKP政権寄りメディアに登場する一部の識者は、私と同じように腹を立てているみたいだが、どうやらこれが最も危険な対応らしい。
非常に考えさせられる記事なので、全文を拙訳して、以下にご紹介したい。
マフチュプヤン氏は、キリスト教徒のアルメニア人(トルコ国籍)で、政権党AKPへの支持を常々表明しているけれど、同時に最も真摯な厳しい批判者であるかもしれない。
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「我々は西欧が思っているほど愚かだろうか?」
クーデター事件後、排除の動きが広がり、死刑の復活が取り沙汰されると、西欧では、これがトルコに対する否定的な予見の証として読み取られている。エルドアンは、手に入れた正当性を権威の強化のために使い、あらゆる反対勢力を片付けて、プーチンのような体制を構築すると考えられているのである。
彼らは、これを根拠もなく論じているわけじゃない。AKPの支持者以外に、僅かな人たちを除いて、西欧の人たちが接触した財界人、記者、知識人の多くは、未だにこの事件がエルドアンによって仕組まれたと説明しているからだ。
そのため、西欧に流された情報を真に受けるならば、エルドアンは、クーデターの計画に気づいていながら、これを見逃し、後から制圧して権力を強化したというシナリオを信じてしまうのも無理はない。
しかし、その背景に、トルコを認めようとしない西欧の態度が横たわっているのは間違いない。存在論の観点から、トルコには「デモクラシーのハンディキャップ」があると見做す一種のオリエンタリズムと、IS以降に表れたイスラムフォビアが複合され、エルドアンへの憎悪と一体化した状態がそれである。
エルドアンは、西欧が「東」と言って見下し軽んじてきた全ての特質を持ち合わせているかのように見られてしまっている。
西欧は、長年にわたり、反AKPの人たちからトルコを読み取ろうとしていたため、最近になって出て来た権威主義化と気分的な傾向も当然のことだと思っている。
AKP初期の民主的な傾向は、強制されたものであり、国の機構が破壊されてカオスの状態になった後で、全てのシステムがエルドアンによって抑えられたと考えている数多のジャーナリスト、政治家、そして官僚が存在しているのだ。
おそらく、彼らの説明が、誤りで偏っていることに気がついた人もいるだろう。しかし、長い間使い続けてきたレトリックは、急に変えられないのである。
一方、西欧の社会におけるトルコのイメージが、非常に否定的である点も考えてみなければならない。
一般の西欧人にとって、トルコの政府と議会は、大統領の道具であり、ポピュリズムによる大衆的な指導力の他、エルドアンには正当性の不安がない。だから今後の展開としては、危機をライバルに花束を差し出すことで乗り越え、その後で、自分の野望を実現させるため、非民主的な一歩を踏み出す・・・。
残念ながら、トルコは、このように誇張された先入観と、時には悪意に満ちた期待感を前にして、なすすべもなく立ち尽くしている。AKP寄りのメディアは、こういった悪意に拘泥して、戦略的な視野を失ってしまった。
ロシアとイランは、トルコの味方であるという姿勢を見せて、トルコが西欧からさらに遠ざかるように煽っている。こうして、トルコは中東で敵の手に落ちるだろうと計算しているのである。
私たちは、誇りと英雄気取りが高揚感をもたらし、同時に目を塞がれてしまう展開の中にいる。
トルコが抱えている二つの大きな問題の一つであるクルド和平は、未解決の方に押され、制御が効かなくなった状況に、治安の強化で応じようとしている。
一方の経済問題は、自分たちを騙すつもりがなければ、数カ月の内に困難のきざしが現れ、国際金融市場での評価は厳しいものになると言えるだろう。
これほどまでにデリケートな状況の中で、「金利が下がらないのはギュレン教団の所為だ」なんていう妄言を並べたり、
「(ゲズィ公園には)やはりトプチュ兵舎を建てる」(エルドアン大統領)などと言い続けたり、
一般市民をCIAのスパイに見立てて、やらせ報道を企てたりするならば、世界がこれをどう読み取って解釈しても、不機嫌になるのは止めよう。
トルコは国力を強化する絶好の機会を得たのである。もちろん、国内の平和、開かれたコミュニケーション、そして民主主義のデリカシーを取り戻せばだが・・・。さもなければ、オリエンタリズムが正しいことになってしまうだろう。
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トルコ語原文