メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クーデター反対で連日連夜の大集会

(7月27日)

 先週、サバ―紙のコラムで歴史学者のシュクル・ハニオウル氏は、トルコのクーデターの歴史をオスマン帝国に遡って説き明かしていた。オスマン帝国の時代にもクーデターは何度も起きていたそうだ。

トルコ共和国の21世紀になっても、2002年にAKPが政権を取ってからは、クーデターの可能性が絶えず囁かれていた。

今年に入って、そういった“クーデターの噂”は、さらに勢いを増していたが、軍部の多数派は既にAKP政権を支持していると見られていたため、起きるとすれば、それは“1960年型のクーデター”になるだろうと言われた。

ケナン・エブレン参謀総長の主導により、軍が命令系統に従って行動した“1980年のクーデター”と異なり、1960年のクーデターは、佐官クラスの将校らが、ジェマル・ギュルセル将軍を担いで成功させたらしい。

しかし、以来半世紀が過ぎて、時代は大きく変わったから、『今更、クーデターなんて・・』と私は“クーデターの噂”を信じなかった。

軍の内部に不穏な動きがあるとしても、未然に摘み取られてしまうはずだという識者の言葉に納得していた。

なにより、クーデターでエルドアン政権を倒しても、その後誰を担いで政権に就けるのかが問題だった。誰が出て来ても国民の支持は得られない・・・。

ところが、クーデターの企ては、実際に起こってしまった。

ギュレン教団は、クーデターが成功した後、いったいどういう政権を構想していたのだろう?

ある識者は、通常、クーデターを企図する場合、その煽りで経済が悪化しないよう手を打っておくものだが、今回の事件では、そういった形跡が全く見られない、首尾よく行ったとしても、トルコ共和国を統治する意志はなかったようだと分析している。

要するに、共和国の分割を目論んでいたと言うのである。

この“分割の恐怖”も、トルコでは常に語られて来た。特にイラク戦争以降、「中東の再編に乗り出したアメリカは、いよいよトルコを分割するつもりじゃないのか?」という声が高まっていた。

このアメリカに対する不信感と恐怖も大きい。

昨年の3月だったか、軍関係の書籍を多数扱っている出版社経営の知人に、いつも“クーデターの噂”を尋ねても、「軍はもう政治に関与しない」ときっぱり否定されるだけなので、「例えば・・」と断って、2013年12月のギュレン教団による“司法クーデター”が成功して、政権を教団が掌握していたら、それでも軍は動かなかったのかと訊いてみたことがある。

すると、普段は明快に即答する彼が、「それは・・」と口篭ってから、「クーデターをアメリカが認めないだろう」と答えたので、ちょっと驚いた。

彼は、あくまで対米協調を前提にしながらも、“オスマン帝国の栄光”を誇って、「アメリカ何するものぞ」という気概を示し、ギュレン教団を「アメリカの手先」と罵っていたので、まさかそんな弱気な答えが返ってくるとは思わなかったのである。

しかし、よく考えて見れば、弱気になるのは当然かもしれない。

クーデターに成功したところで、これをアメリカは「民主主義の敵」と断罪して、経済封鎖等のあらゆる手段で“軍事政権”を追い詰めることができるからだ。

もちろん、アメリカに都合の良い“クーデター”は、「民主主義の敵」にならないのだろう。今回のクーデター事件でも、失敗が明らかになるまで、アメリカはクーデターを非難しなかったらしい。

そうであれば、クーデターによりトルコを分割できると思ったのかどうかはともかく、ギュレン教団を支援する何かがアメリカに存在しているのは、もう疑わざるを得ないような気がする。

少なくともトルコでは、エルドアン政権の支持派・反対派を問わず、多くの識者がこういった疑いを懐いている。(疑いの余地すらないと断言する識者も多い)

事件後、連日連夜にわたって各都市の広場に大勢の市民が集まり、トルコの国旗を振りながら「クーデター反対」を叫んでいるのは、残存勢力の暴発を防ぐ目的もあるが、外国へ向けて、「我々トルコ人は一致団結して国を守る。分割など絶対に許さない」という姿勢を見せつける為に違いない。

オスマン帝国の末期、ガリポリ戦争に端を発した救国戦線で、人々は主義・信条・民族の違いを越えて団結し、西欧列強から国土の統一を守り抜いたという。

なんだか現在の様相は、それが再現されているかのようだ。

トルコの人たちを、“政教分離主義者”や“イスラム主義者”、あるいは“トルコ人”とか“クルド人”といって区分けしても、底の方には何か共通した心情が流れているのではないかと思うことがある。

とても多様性のある社会に見えるけれど、皆、600年続いたオスマン帝国の子孫だからなのかもしれない。