メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

大統領府とモスク

アンカラでは、あの“豪華すぎる大統領官邸”の様子も見て来た。もちろん、外から眺めただけだが、隣のモスクは一般に開放されていたので、中へ入って、昼の礼拝を後ろの方で見学させてもらった。
かなり大きいモスクなのかと思っていたけれど、例えば、軍人や政治家の葬儀が営まれることで有名なアンカラを代表するモスク“コジャテペ・ジャーミー”と比べたら、随分小さいような気がした。訊くと、三分の一ぐらいの規模だそうである。
もっとも、大小の如何に拘わらず、大統領官邸の敷地内にモスクが建設されたことへ嫌悪感を示す人は少なくないだろう。政教分離の観点から問題視する向きもある。
しかし、ホワイトハウスの隣にも小さな教会があって、大統領の席まで用意されていると言うし、何処の国でも似たような状況はあると思う。
ちなみに、警備の警察官の話では、このモスクに“大統領の礼拝場所”といったものはないそうだ。トルコの他のモスクと同じように、来た順に前列から詰めて行くだけだから、「巧くいけば、大統領の隣に座って礼拝できるかもしれませんよ」と警察官は笑っていた。
彼ら警備の警察官とは、こうして質問したことがきっかけで何だか仲良くなり、警備所に招かれてコーヒーまで御馳走され、長々と雑談した。
その雑談の中で、わざわざ言い及ばなければ良かったのに、「向こうの官邸も正面から写真を撮りたいが・・・」なんて訊いたところ、「いや、撮影は禁止されているんですよ」と回答されてしまった。
警備上の問題なら、もっと問題になりそうな未だ建設中の部分や横からの写真を、彼らの前でも撮っていたものの、禁止されているのは、どうやら正面からの撮影らしい。
せっかく仲良くなった警察官の機嫌を損ねるのも愚かだから、いちいち理由を訊いたりはしなかったが、おそらく大した意味があるわけでもないのだろう。トルコでは、ショッピングモールなど商業施設の広告を請負っている広告会社が“撮影権”まで独占して、一般来場者の写真撮影を固く禁じたりしているけれど、案外そんなところかもしれない。
この“官邸”は、行政の機能を集めた“大統領府”にするつもりで建てたそうだが、「民衆に開かれた“大統領府”」などと言いながら、記念撮影も出来ないのでは何だか間が抜けている。
トルコの現憲法で規定されている“大統領”は、選挙によって政権を得た首相らが勝手なことをしないように見張る“お目付け役”みたいなもので、そもそもは軍出身者が独占する手筈だったようだが、89年に文民のオザル氏が大統領に選出された時点で、既に思惑から外れていた。
今議題に上っている“強化された大統領制”を提唱する人たちが考えているのは、大統領府の行政を議会がチェックするアメリカのようなシステムらしい。それで『ホワイトハウスに負けてなるものか』とどでかい“大統領府”を作ってしまったのだろうか?
あれには、一般のAKP支持者の中からも「あそこまで見栄を張る必要はなかった」という声が聞かれる。10年前なら「威勢があって良い」と喜ぶ人たちがもっといたような気もするけれど、人々の志向はどんどん変わって来ている。
大統領府の建設は、2012年に始まったそうだから、あの頃は『そろそろIMFの借りも完済できる』『クルド和平も実現しそうだ』と思わず威勢が良くなっていたかもしれない。ところが、今や“強化された大統領制”の憲法改正さえままならない状況に陥ってしまった。
シリア国境付近では、今にも“戦争”が始まるような状況である。この地域は、オスマン帝国の末期以来、欧米の介入に翻弄され続けて、未だに平和の展望が見えて来ない。
18世紀から西欧に圧され続け、なんとか西欧に倣った近代化を図ろうとしたオスマン帝国がとても健気に思えてしまう。これを引き継いだトルコ共和国も近代化と国土の統一を維持するため、終始、米英との距離の取り方に腐心し続けてきたような気がする。これは日本と同様じゃないかと思う。
過度に譲歩すれば付け込まれるし、思い余って挑みかかれば“百倍返し”されてしまう。本当に“鬼畜米英”との付き合いは厄介だ。厄介を避けるためには、今のところ、巧く付き合って行くよりないのかもしれないが・・・。

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