メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

焼肉屋じゃ恥ずかしいのか?

“最後のマッチ工場”、老婦人には事業者としての誇りが感じられたし、従業員の女性も「我が国にある唯一の工場ですから自負心を持って働いています」とにこやかに語っていた。
しかし、韓国でマッチの製造に従事していた多くの人たちが、同じように思っていたら、ここが“最後の工場”にならなくても済んだのではないだろうか?
ソウルに留学していた27年前、韓国では、仕事や家業に対する通念が、日本と大きく異なっているのに随分驚かされたことがある。
ソウルの下宿で、1ヵ月ぐらいの間だけ、延世大学の学生と相部屋になった。彼は、実家もソウル市内にあると言うので、何故、わざわざ下宿しているのか訊いたところ、次のように答えて笑っていた。
「うちは焼肉屋で、ちょっと騒がしかったりするので、勉強が忙しい時などは、こうして下宿にこもるんです」
この学生から、日本が好きな幼馴染みの友人がいるので会ってもらえないかと頼まれ、2~3日して、ペク君という友人を紹介された。ペク君は、数日後にまた連絡して来て、日本人と友達になりたいから是非うちへ遊びに来て欲しいと言う。私も断る理由がないから近日中に行くと約束した。
その晩、帰って来た相部屋の学生に、ペク君の件を伝えると、恐縮して謝意を述べてから言った。「彼の家とは近所同士なんで、あそこまで行ったら、うちの焼肉屋にも寄ってみて下さい。うちの焼肉はなかなか美味しいですよ」
でも、ペク君の家では、お母さんが肉料理をたくさん御馳走してくれたので、とても焼肉屋へ寄る余裕はなくなってしまった。それで、家を出て地下鉄の駅まで送ってもらう途中、次回に行くとして、その焼肉屋はどの辺だろうと訊いてみた。
ところが、ペク君は驚いたように私の顔を覗いながら、「そんな話、誰から聞いたんですか? 彼の家は焼肉屋なんかじゃありませんよ!」と語気を強めて否定したのである。「いや、本人から聞いたんだけれど・・・」と言っても、「違う、何かの間違いだ!」とペク君は全く取り合おうとしなかった。
下宿に戻って、相部屋の学生にこの顛末を話したら、彼は残念そうに笑いながら説明してくれた。「馬鹿げた話ですが、韓国で飲食業などは賤しい仕事と看做されて来ました。彼は僕の名誉を守ろうとしたんですね」
相部屋の学生は、非常に優秀で世界的な視野を持っていたけれど、ペク君は未だ狭くて古い“韓国”の中で生きていたのかもしれない。
当時の韓国は、ホワイトカラーとブルーカラーの差も歴然としていた。その後、1年半ぐらいして、私は日本で、韓国から来た企業の団体を案内する仕事に携わっていたが、プログラム通り、ホワイトカラーとブルーカラーを同じバスに乗せると、「なんであいつらと同じバスなんだ?」と文句を言われた。それは「日本の現場主義を学ぶ」というような研修プログラムだった。
あれから、25年以上が過ぎて、もちろん韓国も変わって来たと思う。2~3年前だったか、子供たちのなりたい職業の中に“調理師”が登場して話題になっていた。テレビドラマ「チャングムの誓い」の影響が指摘されていたけれど、良い兆しには違いない。
しかし、ナッツリターン事件などを見ていたら、やっぱり社会はなかなか変わらないものだとタメ息が出そうになる。