メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後

 ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後 ─パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy) 

*翻訳は学習院大学理学部の田崎晴明

上記は、パキスタンの物理学者パルヴェーズ・フッドボーイ氏が、2001年に著した論説だけれど、今読み返して、また改めて非常な感銘を受けた。(感銘には田崎晴明氏の翻訳の素晴らしさもあるかもしれない)
フッドボーイ氏は、ここでまず次のように述べている。「イスラム教は ─ キリスト教ユダヤ教ヒンドゥー教、あるいは他のすべての宗教と同様 ─ 平和についての宗教ではない。 それは、戦争についての宗教でもない。 どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱うのである。」
イスラム教も、その共同体の安寧秩序と平和は願ってきたけれど、これを乱す敵には聖戦を辞さないのだから、世界全体の平和共存を望んでいたわけではないだろう。
オスマン帝国では、イスラムの共同体と他宗教の共同体が、一時期まで平和に共存していたものの、これは経済力を握っていたキリスト教徒らもそれなりに優越感を持っていたという微妙なバランスの上に維持されていたのかもしれない。
フッドボーイ氏は、論説を未来への提言で締めくくっているが、そこで、「ムスリムは、信仰の自由と人間の尊厳を重んじ、権力は国民にあるという原則に基づいた、非宗教的で民主的な国家を必要としている。」と明らかにしている。
政教分離を達成したトルコ共和国は、この“非宗教的で民主的な国家”のモデルになり得るのではないだろうか。
イスラム的と言われるAKP政権による現在のトルコも、歴史学者のシュクル・ハニオウル氏が指摘するように、既に“民主主義の中のイスラム”を模索し始めているのではないかと思う。

 AKPを支持している民衆の多くも、脱宗教を目指した抑圧的な“政教分離主義”には抵抗していたけれど、政教分離の大枠は是認しているはずだ。かえって、過剰にイスラム的な政策が進んだ場合(たとえばアルコールの禁止など)、かなりの支持者が離反してしまうだろう。
そもそも、AKPの元来の基盤に、アルコールの禁止を望むような人たちがいるとしても、エルドアン大統領やダウトオウル首相らに、そういった偏狭な考えはないと思う。
フッドボーイ氏が危惧する過剰な民族主義も、クルドとの和平を実現できれば、乗り越えることは可能であるに違いない。