メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

国歌~校歌~寮歌

これまで“君が代”聴いて感動したことは殆どなかった。あまり好きなメロディでもない。
士気を高めるために、国旗を揚げて、音楽で盛り上げるなんて、元来が西欧の発想じゃないかと抵抗を感じていた時期もある。 あれは、他国の支配から独立したり、革命で新しく誕生したりした国々の為にあるのだろう。
しかし、オリンピックなどでは、何処の国でも国歌を歌うのだから、それには合わせなければならない。いつしかそう考えるようになったが、こうして儀礼上歌うのであれば“君が代”で充分、もっと勇壮なメロディに変える必要もないと思う。
でも、いつだったか、“YouTube”で母校の校歌を発見して聴いたら、涙ぐむほど感動してしまった。まあ、映像に出てくる寮や校舎の姿を見た所為かもしれない。国歌に思いを寄せたりするのは、こういった心情の規模が大きくなったものだろうか? 歌わない人に腹を立てたりする心情も・・・。 
94年頃、イスタンブールで会ったロシア人の青年は、ソビエトが大嫌いだったと言うのに、私が“ソビエト国歌”の冒頭をちょっと口ずさんで見せたら、スクッと立ち上がって朗々と歌い、「でも、この歌だけは好きだった」と述懐していた。
ソビエト国歌”は、後に歌詞を変えて、ロシア国歌として復活している。私もあの歌のメロディは大好きだ。 
私が卒業した高校は、全寮制だった為、校歌とは別に寮歌があり、この寮歌が歌えないと、先輩たちから酷い目に合わされた。 
学校で何か行事があり、生徒が体育館などに集まると、剣道部と柔道部の部員は前に出て、まずは、主将が前口上を読み上げるのに合わせ所々「オオッ!」といった掛け声を入れ、それから寮歌を大声で歌わなければならない。 

私は柔道部だったので、もちろん条件反射のように、前口上も含めて寮歌を最後までスラスラ歌うことができたけれど、3年ほど前に、ふと歌ってみようとしたら、殆ど思い出せなかった。 
ところが、校歌のほうは、歌えなくても酷い目に合うことはなかったのに、歌詞や曲調が好きだった所為か、かなり良く覚えている。寮歌は正直言って、余り好きじゃなかったのである。 
寮は8人部屋だった。学年別に三棟建っていて、進級する度に引越したうえ、部屋替えが行われ、同室者の顔ぶれが変わる。また、部屋の構造も変わり、3年になると、室内をカーテンで仕切って、ある程度は自分の領域が確保できるようになった。 
学年ごとに同じ番号の部屋は、“兄弟部屋”と呼ばれ、先輩・後輩の関係が作られる。部活と兄弟部屋の先輩には、廊下ですれ違ったりしたら、大きな声で挨拶しなければならない。これを怠った場合も酷い目に合わされた。 
もちろん、自分たちが上級生になれば、立場は逆になる。3年に昇級したある日、同室の者が、「兄弟部屋一年生の挨拶がなっていない」とか言い出し、この一年生の後輩8人を部屋に呼んで、寮歌を歌わせながら、喝を入れることになった。 
私は『高校3年にもなって、なんと愚かな真似を・・』と呆れたけれど、そんなこと言ったら、また苛められるから、黙っていた。恐る恐るやって来た後輩たちは、1人ずつ我々に割り当てられ、個別に厳しく“指導”するよう言い渡された。 
私の所に来たのは、同じ柔道部の後輩だった。真面目で大人しい学術優秀な後輩だったから、私は何だか恥ずかしくなってしまった。
そっとカーテンを閉めると、ベッドの端に座らせ、お茶を出して、暫く無駄話で時間を潰しただけで、そのまま帰ってもらった。他の領域では、寮歌と怒号が鳴り響いていた。
まあ、私もその後輩が馬鹿みたいな奴だったら、血相変えて歌うにまかせ、お茶でも飲みながら、窓の外をボンヤリ眺めていたかもしれない。なにしろ意気地がなかったから、苛められるのを覚悟して、わざわざ抵抗する気にもなれなかったのである。