メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

女性の社会進出

アダパザル県のクズルック村は、イスラム色の濃い保守的な村だったけれど、村から工場(邦人企業の工場)へ夫婦で働きに来ている人たちも少なくなかった。
トルコでは、女性の社会進出が、日本より遥かに進んでいるかもしれない。クズルック村の工場には、オフィスで働く学卒のエンジニア、中間管理職の女性も数名いた。
皆さん、既に結婚されているようだったが、夫婦で働きに来ていた学卒エンジニアはいないから、御主人と知り合える機会は余りなかった。
例外としては、品質管理部のチーフを務めていた女性エンジニアの御主人が、アダパザル市内で歯科医院を開業していて、治療を受ける日本人出向者の部長と共に何度か同医院を訪れたので、この方とは顔見知りになった。
奥さんはスラリと背の高い美しい女性で、非常に優秀、目から鼻に抜けるタイプという印象だが、場合によっては、その視線がタカのように鋭く光っていたから、私は勝手に“猛禽類”と綽名をつけていた。
御主人も背は高かったが、がっしりした体格で、のんびりした温厚な雰囲気を漂わせていたため、なんとなく“熊さん”という感じだった。
そういうのは歯医者さんとして、少しマイナス・イメージかもしれないが、アメリカで最新の技術を学んで来たとあって、腕の方は確かだったと思う。しかし、とてもお喋りなところが、治療を受けている部長には不安を与えたらしい。
アメリカでは、ルーム・メイトだかクラス・メイトに日本人がいたと言うし、奥さんも日系企業に勤めているから、彼は日本人にとても親近感を持っていたのだろう。
通訳として診療室の片隅に座っている私へ、部長の治療をしながら、ひっきりなしに話しかけて来たのである。
部長は、「君が受け答えするんで、彼はずっと何か喋っているじゃないか。口を開けて歯をいじられているこっちは不安で堪らない。彼に話しかけられても絶対に返事をしないでくれ」と私に頼んでから、「でも、奥さんも良く喋るし、いったいあの夫婦の家庭はどうなっているんだ?」と不思議がっていた。
まあ、トルコに“会話の少ない夫婦”であるとか、「おい・飯・寝る」しか言わない亭主なんて、殆どいないのではないか。そうなったら既に離婚の危機だろう。私には、あの夫婦が特に“お喋り”であったようにも思えなかった。
彼らは、アダパザルに近いサパンジャ湖の畔にある別荘地のような所にお住まいだった。夫婦揃って高額所得者で、きっと幸せな家庭を築いていたはずである。
日本では、なかなかこう巧く行かないと思う。未だ子供も幼いのに、早々と奥さんが中間管理職に出世したら、毎晩残業で遅くなり、“お喋り夫婦の楽しい会話”どころじゃなくなってしまうかもしれない。
もちろん、日本にも、キャリアウーマンとして活躍し、多少は御主人のサポートも受けながら、主婦や育児までこなしてしまう女性はいるだろう。でも、それをやろうとしたら、普通の男の2倍ぐらいタフでないと持たないような気もする。
そういうタフな人間(男女含めて)の出現する確率は少ないから、とにかく競争力を高めたい企業は、やはり男のほうから採りたくなるのではないか。
激しい業務のため、中間管理職が過労死したり自殺したりする日本の企業風土も問題だが、あれだってまさか全てが企業側の強制によるものじゃないだろう。「こんな厳しい競争には勝てない」と途中で自ら白旗を掲げてしまえば、救われた人たちがいたかもしれない。
私は18年ぐらい前、長距離トラックの運転手を1年ぐらいやってみただけで、『これは敵わん』と意気地なく敗退してしまった。あの仕事には、毎日3時間ぐらいの睡眠でも持ち堪える体力と(当時は)制限速度60キロの国道を120キロでぶっ飛ばす度胸が必要だと思った。
もっとも、運転手の場合、さっさと諦めて敗退しないと、過労死する前に事故で他者を殺めてしまう可能性があるから、あれで良かったに違いない。
しかし、実際に目撃したことはなかったけれど、あの頃も、がんがん走っている女性の長距離トラック運転手が僅かながらいたらしい。当時、トラック運転手なんて男がやるものだと決め付けられていたのか、トラックステーションといった施設に、女性が使えるシャワー室等は殆どなかったような気がする。女性が長距離やるのは、男より大変だっただろう。
今はどうなっているのか知らないが、そういえば、“男女平等”とか何とか言ってる人たちの中から、「トラックステーションに女性用の設備がないのはけしからん!」といった声は上がっていたんだろうか?

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