メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

シーア派のモスク

月曜日は、アゼルバイジャントルコ人青年の案内で、街のモスクも訪れることができた。
“ゼイネビイェ・ジャーミー”というシーア派のモスクである。プレハブ2階建ての簡単な構造だが、それは以前のモスクが、地震による損壊で使用出来なくなり、暫定的に使い始めたからだという。
200mほど先にある新しいモスクの建設現場も見せてもらったけれど、現在、工事は中断されていて、未だ再開の目処が立っていないらしい。
完成すれば、シーア派の文化センターも兼ねる大規模なモスクになるそうだが、青年の話では、AKP政権との間に齟齬が生じたため、工事を差し止められているという。
しかし、月曜日の“アーシューラー”に、ハメネイ師の代理人が来ていたくらいだから、文化センターにもイランの影響は見え隠れしているのではないだろうか。トルコの政府としては、そう簡単に進められない問題であるかもしれない。
いつだったか、イラン人の友人に連れて行ってもらった旧市街のベヤズィットにあるシーア派のモスクでは、ウードゥル県出身のトルコ人より、イラン人の会衆が多かったような気もする。イランから来たという宗教指導者がいて、振舞われた食事もイラン料理だった。
さて、プレハブ2階建てのモスクだが、2階は女性専用で入口も別になっていた。トルコのスンニー派のモスクでは、女性の礼拝する場所が後方か2階に設けられているだけで、入口は特に別けられていない。
それから、シーア派の人たちは、礼拝で平伏する際、絨毯の上に小さな円盤を置いて、そこへ額をつけるようにする為、礼拝所の片隅には円盤の入った箱が用意されていた。
この円盤は、街角の宗教書などを扱っているスタンドでも販売されていたけれど、聖地メッカの土から作られているそうだ。
訪れた時は、礼拝の時間じゃなかったが、数人が礼拝を行なっていた。礼拝の所作にスンニー派との違いはないように思えたが、どうなんだろうか? スンニー派と同様静かに礼拝の所作を繰り返していた。
異端とされるアレヴィー派では、セマーと呼ばれる歌や舞踊を伴った礼拝の儀式が賑やかに営まれる。7年ほど前、一度、セマーを見学する機会に恵まれたが、その時は、一人の青年が「アッラー!」と泣き叫びながら、半ばトランス状態に陥っていた。
韓国のプロテスタントの教会でも、似たような熱狂的盛り上がりを目にしたことがあるけれど、こういった例に比べれば、イスラムの礼拝は実に整然としていて味も素っ気もない。
イスラム、特にスンニー派は、おそらく本質的に安寧秩序の維持を求めているから、多少抑圧的な傾向はあるとしても(なにしろやたらと禁止事項が多い)、非常に平和な宗教だと思う。
でも、この平和は、映画“第3の男”で、ハリーが「500年の平和なスイスが生んだのは鳩時計だけだ」と語っているような平和であり、イスラムの社会にとっても、それほど有り難いものではなかったかもしれない。
結果として、イスラム世界は西欧の後塵を拝し、辛うじて植民地化を免れたトルコ以外の国々は、欧米から屈辱的な支配を受けてしまい、これが知識層における屈折した宗教意識の元になっているような気がする。
トルコの例を見れば、かつて社会の底辺に押しやられていた宗教が、表舞台へ進出したことにより、否応なく社会の変化に適応して、社会と共に発展を遂げてきたという見方も成り立つけれど、トルコのイスラムは既にオスマン帝国の時代から、他のイスラム世界とは発展の段階が異なっていたかもしれない。
例えば、イラクやシリアでは、どういう社会の変化に適応しろと言うのだろう? 彼らの屈折した宗教意識を癒すのは、とても難しいような気がする。しかし、イスラムフォビアによって、彼らを追い詰めれば、その屈折がもっと捻じ曲げられてしまうのは明らかじゃないかと思う。

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