メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの小話

トルコでは、暇な連中が集まって雑談になると、よく自分の知っている小話を披露し合ったりする。近頃は、ネットでちょっと検索すれば、そういう小話のネタをいくらでも仕入れることが出来る。
だから、語り手自身が考え出した“オリジナルの小話”なんて殆どないのだろう。私も何処かで仕入れてきた小話を語るのが関の山だ。
先日も、近所の写真屋さんで、隣の家電修理屋さんも加わり雑談になったから、私も以下のような小話のネタを一つ披露した。
ある村で、モスクの導師とバスの運転手が時を同じくして死んでしまった。この運転手は少々荒っぽい運転で知られていた。
イスラムでは、死んだ後、天国へ行くのか地獄へ落ちるのかを判定する“秤”に乗らなければならない。
導師と運転手がその秤のところへ来ると、既に長い行列が出来ていたけれど、導師は、運転手を振り返ってこう言った。
「私は導師として、毎日、モスクで会衆へ“アッラー(神)に祈れ”と説教してきた。だから、秤などに乗らなくても、アッラー(神)は私を天国へ向かえ入れてくれるはずだ。ついでに君のことも頼んであげるよ」。そして、運転手を連れて、天国の門へ向かった。
2人が門の前まで来たら、門の向こうから、アッラー(神)の声が聴こえて来た。「おお、親愛なる運転手よ! お前が来るのを待っていた。お前は秤など乗らんでも、直ぐに門から入って、こちらへ来なさい」
それで、運転手と一緒に導師も天国へ入ろうとしたところ、再びアッラー(神)の声が聴こえて来て、「おい導師! お前も入って良いとは言わなかったぞ。お前は秤に乗って来なさい」と命じる。
これに導師は、「この運転手が、貴方の為に何をしたんですか? 私は毎日、モスクで会衆に、貴方へ祈れと説教してきたんですよ」と抗議したが、アッラー(神)は答えて言った。
「馬鹿者! 導師よ、お前が説教している時に、会衆は皆寝ていたじゃないか。ところが、この親愛なる運転手がバスを運転している時、乗客は皆、わしに祈っていたんだぞ」。
この小話に、写真屋さんは笑っていたけれど、信仰に篤い修理屋さんは、静かに微笑みながら、次のように説明してくれた。
「私たちは、こういう話に笑えないんですよ。アッラー(神)について、そんな話をするのは良くないからね」
私は『しまった』と思った。これでは、ツイッターなどで宗教を冒涜するような絵図をシェアしている人たちと変わらない。
でも、修理屋さんは、特に怒ってもいなかった。多分、ツイッターなどの絵図を見ても、「フン!」と鼻であしらうだけで、怒ったりはしないのだろう。それに、自分たちが怒りをぶちまけたりしなくても、エルドアン首相がちゃんと怒ってくれる。
かつて、彼らは、もっと怒っていたかもしれない。それが、最近は自分たちのほうが優位な立場にあると余裕を持ち始めて、悠然と構えているような気もする。今や、知識層を自認している政教分離主義者たちが、街頭へ繰り出して、怒りをぶちまけるようになってしまった。

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