メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

モーツァルトのレクイエム伝説

 “盲目の画家”が描いた絵に、どういう価値を見出して“感動”できるのか良く解らないが、そもそも“感動”などという心の動きは、大概、要因のはっきりしない怪しげなものであり、「何故か?」なんて考える前に、とにかく“感動”してしまえば良いのだろう。
しかし、余りにも怪しげな感動というか、自分の身の丈を越えた感動は、それほど長続きしないような気もする。例えば、“魂の深淵に迫る”といった形容で紹介されている文学作品があるけれど、“魂の深淵”の何たるかが解っていない私が読んだ場合、感動したとしても、それは一時的な錯覚に過ぎないかもしれない。
有名な“モーツァルトのレクイエム”に纏わる伝説がある。モーツァルトは、作曲に取り掛かっていたレクイエムを完成させることなく死んでしまった為、その未完のレクイエムには、死を予感していたモーツァルトの“魂の叫び”が込められているという。
岩波文庫の「モーツァルトの手紙」に、死期を悟ったモーツァルトが、脚本家のダ・ポンテに送った手紙というのが掲載されている。
「・・・自分の才能を楽しむ前に、終わったのです。それにしても生はあんなにも美しいものでしたし、生涯の道も、あのように幸運な前兆のもとに開かれました。しかし自分の運命は変えられません。・・・・・これで筆を置きます。これは(このレクイエムは)、私の葬送の歌です。完成せずにおくわけにはまいりません」
これを書いて三ヵ月後にモーツァルトは亡くなったそうだ。私は、この部分を読んでから、レクイエムの冒頭3曲を聴き直して、思わず落涙してしまった。
ところが、「モーツァルトの手紙」の続きを読むと、どうやら上述の手紙は、後世に作られた贋物だったらしい。

モーツァルトの手紙」には、亡くなる50日前、妻へ送った“現存する最後の手紙”も掲載されているが、それは死の気配など微塵も感じられない暢気な内容である。その1週間前の手紙には、“高価なチョウザメ”を食べたとか、“雄鶏を半分食べたが美味かった”といった快活で元気そうな話が綴られている。
歴史が伝えるところによれば、モーツァルトは、粟粒熱と言われる流行性の疾患により、2週間余り寝込んだだけで、あっけなく死んでしまった。おそらく、未だ元気にレクイエムの作曲を進めていた頃は、死の予感などさらさらなかったはずだ。
レクイエムには、モーツァルトのそれまでの作品に見られない深みがあると評されているけれど、それは35歳になり、作曲家としての円熟期に差し掛かったモーツァルトが作曲手法を発展させた結果じゃないだろうか。
モーツァルトの人柄を伝える逸話は、下ネタの与太話が好きな助平男だったとか、酷い博打狂いで金銭感覚に乏しかったとか、いろいろ知られている。
その中で、私の最も気に入ったエピソードは、晩年のモーツァルトが、人気に陰りの見えてきたウィーンに見切りをつけ、イギリスでもう一花咲かせようと、一生懸命に英語を勉強していたという話だ。ちょっとやそっとじゃへこたれない、とても前向きでプラス思考の人物だったのではないかと思う。だから、あれだけの仕事がこなせたに違いない。
ベートーヴェンも35~6歳で円熟期を迎え、ラズモフスキー四重奏曲やヴァイオリン協奏曲といった名曲を次々と発表している。
ラズモフスキー7番の3楽章などは、非常に悲しげな曲だが、“モーツァルトのレクイエム伝説”のように余計な話が伝わっていない為、何かと影響されてしまう私も、普通に『好いメロディーだな』と聴き続けることができた。モーツァルトのレクイエムもこんな風に聴いていれば良かったかもしれない。
ヴァイオリン協奏曲になると、長調の曲である所為か、ややこしい話など連想する暇もなく、音楽の流れに圧倒されてしまう。『よくもまあ、こんなに巧く作れるものだ』と感嘆するばかり。全曲45分をまったく長いと感じない。
このベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、高校の寮で消灯のテーマに使われていて、自然とメロディーが耳に馴染んだから、当時の思い出と繋がっていても良さそうだが、これを聴いて、当時が思い出されたことは一度もなかった。多分、頭をからっぽにして聴けるくらい良い音楽なんだと思う。
逆に、何かの物語や思い出と一緒にならないと感動できない曲は、それほど大した音楽じゃないかもしれない。また、その感動も思い込みによる一時的な錯覚に近いかもしれない。
まあ、こんなつまらない話をくどくど考えてもしょうがないけれど、モーツァルトのレクイエムは、おそらくメロディーの流れだけを聴いても素晴らしいはずなのに、余計な“伝説”で、私の弱い頭は惑わされてしまったようだ。とても残念な気がする。 

 L. V. Beethoven - Violin Concerto in D major Op, 61 (David Oistrakh)


L. V. Beethoven - Violin Concerto in D major Op, 61 (David Oistrakh)


Mozart's Requiem


Mozart - Requiem (Böhm) 1/4