メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国におけるモハメド・アリ

98年だったか、ソウルを訪れ、日本人の知り合いとタクシーでカンナム方面に向かっていたところ、イーテウォンにある大きなモスクが見えたので、指差しながら知人に説明していると、日本語で何を話しているのか気がついた運転手さんは、「お客さん知ってますか? 昔、あのモスクに“モハメド・アリ”が来て礼拝したんですよ」と得意そうに教えてくれた。
韓国で、モハメド・アリの人気は、日本より遥かに高かったと思う。88年に留学していた頃は、既に、アリが現役を引退してから大分経っていたけれど、まだ新聞などに良く近況が伝えられていた。 
韓国の人たちには、ベトナム戦争の悲劇的な記憶があるため、敢然と徴兵を拒否したモハメド・アリに、自身の痛みを投影させながら、拍手喝采していたのかもしれない。 
日本の右翼的な人たちの中からは、自分がベトナムに参戦したわけじゃないのに、アリを“徴兵拒否の腰抜け”呼ばわりする声も聞かれた。右寄りのメディアは、74年の“キンシャサの奇跡”に至っても、“モハメド・アリ”ではなく、旧名の“カシアス・クレイ”で伝えていた。
最近は、韓国軍がベトナムで犯した残虐行為を非難する日本人も少なくないようだ。しかし、韓国にとって、ベトナム参戦は、最貧国に数えられた経済状況を打開する為の苦渋の選択ではなかっただろうか? 
ベトナム特需で“漢江の奇跡”」などと言われているが、ベトナム戦争では、日本も潤ったはずだ。さらに、韓国は参戦により多数の戦死者を出しているけれど、日本は平和を謳歌していた。60年代の後半なんて、私の家族にとっても最も平和で穏やかな時代だった。
今日(22日)、韓国軍の“残虐行為”を非難している記事を読んで、その下品で他人を見下したような言い方に驚いてしまった。もちろん、韓国の反日記事にも下品で侮辱的な表現は見られるが、韓国の人たちの多くは、日本に反感を持っていたとしても、日本人を見下してはいない。それどころか、ある意味一目置いてきた。
ところが、日本の場合、歴史的にも“白い東洋人”的な態度で、韓国の人たちを見下して来なかっただろうか? いくら一部の政治家が“過去の歴史”について謝罪したところで、その後で直ぐにそれを帳消しにしてしまう侮辱的な発言が相次いだら、何度“謝罪”しても元の木阿弥になると思う。 

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