メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

汚いトイレと綺麗なトイレ


Old Delhi, India [デリー/インド]

YouTube”の映像、あまりにも鮮明で、なんだかデリーの街に漂う匂いまで伝わって来そうだ。この街で、地元の人たちと一緒に飲み食いしたら、やっぱりお腹をこわしてしまうような気がする。インドの貧しい人たちの現実は厳しい。
ところで、トルコの一人当たりのGDPは、2008年の統計でも1万3千ドルとなっているから、おそらく私は、イスタンブールで平均よりもっと低いレベルの生活を営んでいると思う。これで所帯があったら大変だけれど、独り身のため、特に不都合を感じることなく楽しく暮らしている。
しかし、私はインドで平均以下の生活に耐えられるだろうか? 慣れてしまえばどうなるか解らないが、今のところ全く自信がない。慣れるまでに、それこそ腹をこわしてくたばってしまうかもしれない。
例えば、インドを旅行してきた人たちから、トイレの話を聞かされただけでも、ちょっと気が遠くなる。トルコでは、何処へ行っても、それほど汚いトイレに出くわしたりしない。
私が今まで体験した最も汚いトイレは、多分、30年前、川越近辺の産廃屋で働いていた時の寮のトイレだろう。

寮と言っても、プレハブの所謂“飯場”で、トイレは外に置かれた“汲み取り式”だった。大の方は、穴を余り深く掘っていないので、一杯に溜まった場合、汚物の山が眼下に迫って来て、しゃがむ時に心持ち尻を上に上げないと、何だかくっ付いてしまいそうな気がした。
一度、大に入って、茶色くなった便器を跨いで下を見たら、汚物の山がガサッと動いたので肝を潰した。良く見ると、それは大きなドブネズミだった。「ひょえー」とか叫んで飛び出し、少し気を落ち着けてから入り直した。
青森県出身で、当時、40歳ぐらいだった先輩のヤマさんは、「こんな汚い所に出したら、俺の糞に申し訳が立たない」と言って、よくダンプの荷台で用を足していた。
その上に産廃を積んで一緒に棄ててしまうのだから、別に問題ないが、4tダンプだと、いくら板で荷台を囲っても、多少見えてしまう。私もさすがに4tダンプではやらなかった。
後年、川崎の産廃屋で、大型ダンプに乗っていた時は、現場に行って、そこのトイレが仮設の汲み取りだったりすると、躊躇うことなく荷台に上がった。大型なら、近くに2階家でもない限り、そこで何をやっているのか解らない。
でも、同僚のO君は、そうやって用を足した後、現場の作業が中止となり、空で車庫に戻って来ると、用足しの件をすっかり忘れ、グリスを差す為に、皆の前でダンプをガーッと上げてしまい、とても恥をかいたそうだ。

さて、綺麗な方で、驚いたトイレの思い出と言えば、それは94年、トルコの南東部ビトゥリスの公衆便所である。
そもそもトルコでは、汲み取り式の便所さえ見たことがない。どんな田舎へ行っても、私の体験では全て水洗だった。

中には綺麗な小川のせせらぎの上に造られていた公衆便所もある。そこで用を足すと、“モノ”は速やかに流れて行ったが、上流の利用者の“モノ”が下を流れて行くのも見させられてしまった。
しかし、ビトゥリスの公衆便所は、“せせらぎ”なんてものじゃない、滝のような激流の上に造られていた。個室は2~3しかなくて、私は一番上の方に入ったから可能性もなかったが、あれなら流れて来たとしても一瞬のことだろう。あっと言う間に流れて行ってしまう。だから、全くトイレの匂いがしなかった。清流と緑の香りが漂っていたくらいである。
あの日は、ビトゥリスに泊まり、翌日、バスでディヤルバクルへ向かったけれど、途中、何度か休憩した中に、とても景色の良い場所があった。ちょっと下に綺麗な川が流れている。降りて行って、顔でも洗いたい衝動に駆られたが、良く考えてみて止めた。あれはビトゥリスから流れて来る川だった。