メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イマーム・ハティップ(イスラム教導師養成)高校100周年シンポジウム

週末の土日、ユルドゥズ工科大学で催された“イマーム・ハティップ高校100周年シンポジウム”を見学してきた。
イマーム・ハティップレル校は、共和国発足後の1924年に開設されたのに、何故、100周年なのかと言えば、オスマン帝国時代の1913年に、“イマーム・ハティップ”の名を冠した導師養成校が設立されているのと、翌14年、現在の“イマーム・ハティップ高校”の原型となった“宗教と共に世俗の学問を教えるメドレセ-ダルルヒラヒェ・メドレセ”が開校した史実に依拠しているらしい。
私を誘ってくれた宗教教育学の先生は、土曜日のオープニングにエルドアン首相が参席するかもしれないと話していたが、残念ながらスケジュールの調整が付かなかったそうである。代理として、やはりイマーム・ハティップ高校の卒業であるベキル・ボズダア副首相が来て、宗務庁長官やイスタンブール市長らと共に、オープニングのスピーチを行なった。
このボズダア副首相のスピーチが長かった。他の方々のスピーチは多少長くても、ある程度は用意した原稿に基づいていたようだが、ボズダア副首相は原稿を見る様子もなく、朗々と、そして延々と話し続けた。
ボズダア副首相、一部のメディアでは、“エルドアン首相のイエスマン”と揶揄されているし、大人しい優等生的なイメージがあるので、私は勝手に“生徒会長”なんて綽名をつけて喜んでいたけれど、その演説はなかなか迫力があり、メリハリも効いていて、それほど退屈せずに済んだ。演説の名手エルドアン首相の代役を立派に果たしていたかもしれない。
しかし、お陰でその後のプログラムは、全て大幅にずれ込んでしまった。著名なイスラム学者ハイレッティン・カラマン教授の開幕講演もかなり遅れて始まった。カラマン教授は、ボズダア副首相の演説中、一時退席していたくらいで、相当機嫌を損ねていたのではないかと思われるが、にこやかに「・・・私の分も話してくれたので、私の話は短くします」といったエスプリで話を切り出した。
カラマン教授については、ここでも何度か話題にしているけれど、私が懐いていたのは“謹厳実直お固いイスラムの人”というイメージだった。それがこの日、何故、カラマン教授は「師の師」とまで言われているのか解るような気がした。話がとても面白いのである。
カラマン教授は、25歳になってイマーム・ハティップ高校を卒業している。在学中、ある試験のため、別の教室に行くと、先生が入って来たと勘違いした生徒たちは一斉に起立するし、その教室の先生まで、状況が飲み込めず、半分立ち上がって中腰に構えてしまう。そこで、若きカラマン教授は機転を利かし、素早く先生に近づくと、手を取って口付けする儀礼によって挨拶したそうだ。
ここまでの話も、カラマン教授は、中腰に構えた先生の様子など身振り手振りを交えて面白おかしく話す。そして、「まあ、これで、その先生も事情が飲み込めたんだね。よっこらしょと深々椅子に座りながら偉そうに反り返ったよ」と落ちを付け、場内の爆笑を誘っていた。
こうして、土曜日は、やっと午後3時半になってから、各ホールに分かれて、テーマ毎のパネルディスカッションが始まった。全てのプログラムが終了したのは、8時近くになったのではないかと思う。私は最も興味を覚えたテーマのパネルを一つだけ見学して、この日は退散した。
テーマは、“テヴヒディ(タウヒード)・テドゥリサット”、“教育の一元化”と訳せるかもしれない。1924年に発布され、共和国の根幹を成す重要な法律の一つと言われている。私立学校のカリキュラムまで教育省が定めているのは、やはり、この法律に由来しているらしい。
宗教教育も教育省の管理下にある“イマーム・ハティップ”が行なう。各教団が勝手に教育するのは好ましくない、という理屈である。
午前中、お歴々のスピーチの中にも、「宗教が過激な方向に行くのを防ぐ為に・・・」といった話が出て来た。しかし、数年前までは、女性がスカーフを被っていることさえ、充分に“過激”と看做されていたのではないのか。
AKP政権も、以前、盛んに“信仰の自由”を主張していた。それが政権の基盤が固まってくると、臆面もなく「“教育の一元化”は重要」と言い出したのである。
その為なのか、フェトフッラー教団の中にも、“イマーム・ハティップ”の卒業生は多いはずだが、このシンポジウムには、有力なメンバーとされている人物が何人か出席しただけで、あまり積極的な参加はなかったそうだ。
日曜日の午後、フェトフッラー系ザマン紙にコラムを書いているエティエン・マフチュプヤン氏らのパネルディスカッションがあって、これを一番楽しみにしていたが、ここでも「市民運動による多様化」が話題になると、質問に立った一般の参加者は、「市民運動を行なう団体の内部が民主的であれば良いが、尊師の言うことには誰も逆らえないのでは、国家による一元化と変わらない。いや、それより悪い」と断じていた。
これに対して、パネリストのベキル・オズィペック氏は、「そうだとしても、教団はいくつもあるから、それが多様化になる」と応じた。誰も“学習塾廃止”の問題には触れていなかったけれど、各々がこれを念頭に置きながら議論していたような気もする。
日曜日は、午前中最初のパネルディスカッションの一つに、私を誘ってくれた先生が出ていたので、まずこれから見学した。その次の時間帯は、どのパネルを見学するか決めていなかったが、午後のパネルを楽しみにしていたから、いずれにせよ、何処かで時間を潰さなければならなかった。
先生のパネルは、始まる前に、進行役の老教授が、「昨日は大変でした。イスラムは時間を決めて礼拝するように、とても時間を重んじているんですが、定められた時間を守らない人が多くて・・・」と嫌味たっぷりに振り返りながら、時間厳守を言明していたけれど、結局、5分ほど超過してしまい、終わる頃には、次のパネルを見学する人たちが入って来たりして、出入り口の所は大分混雑していた。
プログラムを見ると、次のパネルには、昨年、イスタンブール大学の神学部を訪れた際、お世話になった女性助教授の名が記されている。それで、「挨拶もしなければならないし・・」と思って、そのまま席を立たずに待つことにした。
パネルのテーマは、“イマーム・ハティップを理解する”で、“女生徒の存在に関する研究”という発表も含まれていたが、結構注目されているテーマなのか、来場者が多く、テレビ局のカメラまで入ってきて、狭いホールはすし詰め満杯になった。
パネリストの中に、エスラ・アルバイラクという女性がいて、この女性が話し始めたら、やたらとフラッシュがたかれていたけれど、その時は、さほど気にも留めず、エスラさんの話に耳を傾けた。
エスラさんの発表は、“枠に嵌りきらないイマーム・ハティップの女生徒たち”というもので、自分の体験も踏まえて、多様な生徒らの様子を語り、なかなか興味深かった。
2000年にカドゥキョイのイマーム・ハティップ高校を卒業した後、アメリカの大学に留学したと明らかにしていたので、『割と余裕のある家庭のお嬢さんに違いない』とは思ったが、なにしろ公立の高校に通っていたのだから、それほど富裕な家の出身でもないのだろう。昨日は、それぐらいに考えていた。
それで、パネルが終わると、イスタンブール大神学部の先生に挨拶して、さっさと会場のホールを後にした。
ところが、今日、ネットの報道を読んで驚いた。あのエスラさんは、エルドアン首相の長女だそうである。結婚して姓も変わっていたが、仮にエルドアン姓であっても、よくある姓名だから、気が付かなかったと思う。来場者が多いのと、テレビ局のカメラが入って来たこと以外には、何も特別なものを感じなかった。
まあ、いまから思えば、私の直ぐ斜め前に座っていた女性が、次女のスメイエさんに良く似ていた。スメイエさんは、メディアへの露出も多いから、顔を見れば解る。良く似た人だと思ったが、御本人だったのだ。
いつだったか、ラディカル紙のモスクワ特派員スアト・タシュプナル氏は、ロシアに比べて、トルコが如何に民主的な国であるか説明しようとして、「私たちは、エルドアン首相の娘さんたちが、どういう女性で何処にいて何をやっているのか良く知っているが、ロシアでは、プーチン大統領の娘さんがどんな顔しているのかも全く知られていない」と書いていたけれど、『なるほどなあ・・』と思った。