メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

学生寮

2ヶ月前、ルレブルガスで暮らしているムスタファが、イスタンブール大学に合格した次女の入る寮を探すため、日帰りでイスタンブールへ出て来た。私も一緒に3ヵ所の学生寮を見て回ったが、結局、ムスタファは、寮費の安い宗教団体運営の寮を選んで、次女をそこへ入寮させた。
信仰に篤いムスタファは、当初、風紀の良い寮に安心して喜んでいたけれど、1ヵ月も経たないうちに、早くも問題が明らかになったそうだ。
寮の夕食時間が早く、大学の授業で少し遅くなると、頼んでも食事を取って置いてくれないので、外食しなければならなくなってしまうらしい。イスタンブールで外食したら、どんな安食堂でも結構する。
「入寮する前は、調子の良いことばかり言って、もうこれだよ。トルコは20年前と何も変わっていない」とムスタファは電話口でため息をついた。
91年に、私とムスタファが出会ったアルサンジャク学生寮などは、嘘だらけのパンフレットを配って寮生を勧誘していた。

私は実際に訪れ、ムスタファの話を聞いて入寮を決めたから良いが、あのパンフレットを見て寮を選んだ学生たちは堪らなかっただろう。
パンフレットには、有りもしない学習室の写真が載っていて、「少なくとも朝食は4種類、夕食は5種類の料理・・・」なんて見え透いた謳い文句が並べられていた。
ところが、朝は、チャイとパン、バターにチーズしか出なかったこともある。「何処が4種類だ? チャイとパンも数えているのか? 砂糖や水も数えれば6種類か・・」などと寮生たちはブーブー文句を言っていた。
夕食は、毎日のように豆の煮込みに白飯(ピラヴ)とパン、豆の種類だけが、インゲン豆から鞘インゲン、エジプト豆からグリーンピースと毎日入れ替わる。

でも、あの豆煮込みは決して不味くなかった。日本の高校の寮の飯に比べたら、涙が出るほど美味しかった。

我が母校の飯は、品数だけはバラエティーに富んでいたけれど、その多くが驚くほど不味くて臭かった。それでも腹が減っているから、いくらでも食べることが出来た。
さて、アルサンジャク学生寮だが、寮費免除で雑用を引き受けていたムスタファは、食事の配膳も担当し、巧く盛り付けて、足りなくなることもなければ、たくさん余ることもなかった。
しかし、ムスタファが寮を去った後、住み込みの雑用係として一時雇われていた青年は、ちょっとぼんやりした所があって、度々、たくさん余ったり、足りなくなったりしていた。

彼は小学校(5年制)を出てから、郷里の村で羊飼いをしていたそうで、郷里へ手紙書いているのを見たら、小文字も大文字も句読点も無い見事さに驚かされたものだ。
一度、青年が配膳していて、3~4人分足りなくなり、盛り付けてもらえなかった寮生たちに詰め寄られたあげく、配膳台の下に1人分隠しているのが見つかってしまったことがある。彼は、自分の食事だけ、いつも前以て取り分けていたらしい。
怒った寮生が、「俺たちは寮費を払っているんだぞ。それをこちらへ出せ。お前に食べる権利なんて無い」と締め上げたところ、「僕の給料で外食なんて出来ません。君たちは小遣いたくさんもらっているんだから、何処かへ食べに行けば良いでしょう?」と青年は泣きそうになっていた。確かに、寮生たちは、寮の食事に飽きると、結構贅沢な外食を楽しんだりしていたから、その通りだったかもしれない。
あの日、寮生たちは諦めて、何処か食べに出掛けていた。小遣いに困っているような寮生は一人もいなかった。しかし、あれから20余年が過ぎた今のトルコは、もう状況が異なっていると思う。
寮費免除で雑用係やっていたムスタファの娘が、大学へ行くようになったのである。ムスタファは、次女にそれほど小遣いなんて渡せないだろう。学費と寮費だけでも相当な負担になっているはずだ。
昨年、トルコは、義務教育をそれまでの8年から12年へ一気に引き上げた。校舎や教員の数は足りるのか、貧しい家庭の負担はどうなるのか、なんてことは進めながら解決を図って行くつもりらしい。トルコは今まで大概そんなやり方で何とかやってきたから、驚くことでもないが、大学への進学も近年急激に増えて、学生寮なども全く数が足りていないそうだ。
しかも、負担を最小限に止めたいムスタファのような親たちが、20年前に比べて凄い割合で増えているような気がする。

彼らは、概ね保守的な傾向が強いから、負担をかけずに、なるべくなら風紀の良い安心できる所へ入寮させたいと願っているだろう。娘さんであれば、特に心配だ。ムスタファも大分心配していた。
先週、エルドアン首相は、AKP党内の会合で、学生寮の新設を急ぐよう呼び掛けながら、「寮に入れない男女の学生同士がアパートの部屋をシェアしているのは由々しき問題」などと演説したらしい。それがメディアに伝わって大騒ぎになると、例によって強硬な姿勢を崩さず、男女の学生が部屋を借りられないよう法的な処置を検討すべき、みたいなことを主張したそうだ。
これも、また例によって、検討だけで終わり、うやむやになってしまうだろうと言われているけれど、中には穿った見方をする人たちもいる。
最近、第一野党のCHPも保守層に対して柔軟な姿勢を見せるようになり、国会におけるスカーフの解禁にも賛意を表明していた。その為、これによって保守層の票が一部CHPに流れることを恐れたエルドアン首相は、先手を打って、CHPを挑発したのではないか、というのである。
確かに、結果だけ見れば、“当たらずとも遠からず”だったかもしれない。CHPは「個人の生活スタイルへの介入だ」として猛反発し、これを見た保守層の多くは、「なんだ、CHPは一つも変わっていないじゃないか。相変わらず不道徳を擁護している」と不愉快に感じただろう。「またCHPは、エルドアンが狙った通りの反応を見せてしまった」と書いたジャーナリストもいる。
しかし、どうなんだろう? 失言を後から巧く利用した可能性はあるけれど、「最初の発言は、社会の早い変化に不安を感じているエルドアン首相の本音だったのではないか」という説の方が的を射ているように思えた。

グローバル化、そして経済成長を推し進めて来たAKPは、それによって生じた社会の変化の早さに当惑している・・・。
AKPをずっと支持してきたムスタファも、同様に当惑しているかもしれない。ムスタファは、次女の夢を叶えてやりたいとバイラム(祝祭)も休まずに働いていた。そして、それに応えて、次女も学業に励んでいると信じながら、一抹の不安を隠しきれていないように見える。
経済成長等に伴う“伝統的な価値観の動揺”に対しては、CHP支持者の中にも不安を感じている人が少なくないような気がする。

例えば、トルコで、大学生の娘が男と同棲するのを許す親は、ごく限られているだろう。大概の場合、男女の自由な交渉が近代化の証しであるかのように言っても、それが自分の娘や妹に及んだら、たちまち豹変してしまう。それなら、保守派の態度の方が、よっぽど整合性が取れているのではないかと思う。

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