メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エキストラでもコンセルバトゥワール

コマーシャルなどの撮影に、エキストラで何度か使われている内に解ってきたことがある。
有名な大御所的タレントが出演する場合、撮影は比較的に早く終わる。監督さんも大御所に遠慮して、それほど撮り直しを求めないからだ。素人のエキストラばかりだと、一つのカットで何十回も撮り直す。
一度、ヒュリヤ・アブシャルという大スターの女優さんが出演する撮影に駆り出された。これが最も早く終わった例じゃないかと思う。
アブシャルさんは叩き上げの苦労人である所為か、なかなか出来た人で、アシスタントのスタッフにも気を使っているような感じがしたけれど、さすがに大御所だから、監督さんはもっと気を使っていたのかもしれない。
シャファック・セゼルという有名なコメディアンが主役のコマーシャルにも出させてもらったが、この時は、主役の顔がはっきり映らない場面で代役が使われた為、その場面は何度も撮り直した。しかも、撮る度にセットが壊されてしまう場面だったので、セットを作り直すのに手間取り、撮影が済むまで長い時間掛かった。
主役は、その長い撮影が終わってから、やっと現場に姿を現した。そればかりか、監督さんは、これに先立ってエキストラを集め、「今、主役のシャファックさんが来ますが、気難しい人なんで、絶対に声をかけたり、何か尋ねたりしないで下さい。もの凄く怒ります」と頼んでいた。
実際、私はこのシャファック・セゼル氏と台詞のやり取りもある役回りだったけれど、意味もなく、「おいジャポン、後で話がある」などと睨まれてしまった。
シャファック・セゼル氏は、6月のゲズィ公園騒動の際、メディアでエルドアン首相を厳しく非難していたが、騒動が収束してしまうと、エルドアン首相に会って謝罪し、これが暫く話題になっていた。なんとなく、どういう人なのか解るような気がした。
さて、今週の月曜日も、コマーシャルの撮影に駆り出されてきたが、これは素人のエキストラばかりで、ただ拍手したりするだけの場面が多く、演技らしい演技もなかったのに、撮影は長時間に及んだ。
でも、撮影の合間に、他のエキストラやスタッフのトルコ人たちと雑談したりして、結構楽しく過すことができた。
35歳ぐらいに見えるエキストラの男は、もともと俳優志望であり、2年制の演劇学校を出たそうだ。
トルコ人の多くは、職業を訊かれた場合、現在の仕事ではなく、卒業した学科の業種を答えたりする。いつだったか、靴メーカーの社長の名刺に“建築エンジニア”と記されていて驚いたことがある。社長さんは建築学科を卒業したのだろう。
だから、エキストラの男も俳優志望などとは言わず、プロの俳優だと胸を張っていた。「何処の学校?」と訊いたら、「ミュジダット・ゲゼン文化センター」と答え、わざわざ財布から“卒業証明カード”みたいなものを出して見せながら、「つまり、私はコンセルバトゥワールの出身なんです」と誇らしげだった。
トルコでは、大学の芸術学部などを、フランス語で“コンセルバトゥワール”と言い表したりする。今日、“ミュジダット・ゲゼン文化センター”のホームページを開いて見たら、ここにもちゃんと“コンセルバトゥワール”という言葉が使われている。彼が勝手に“コンセルバトゥワール”にしたわけじゃなかった。
しかし、パリのコンセルバトゥワールを出ていたら確かに凄いけれど、“ミュジダット・ゲゼン文化センター”のしかも2年制では、ちょっとずっこけてしまう。未だ設立されて20年ぐらいのようだから、トルコ人でも特別関心がなければ、そんな学校があるなんて知らないだろう。
でも、ミュジダット・ゲゼン文化センターのホームページで、4年制の“卒業生”という欄を開いたら、トップに“アフー・テュルクペンチェ”という名が出てきたので、「おおっ!」と目を引かれた。
アフー・テュルクペンチェさんは、13年ほど前、“イスタンブール物語”という連続ドラマで注目された、爽やかな知性に溢れる美しい女優だ。私はトルコ人に「好きな女優」を訊かれると、いつも、この“アフー様”の名をあげていた。
ところが、6~7年前だったか、ある雑誌に彼女のインタビュー記事が掲載されていて、それを読んだら、「私は大学で学んだことを現在の職業に活かしている・・・だから、肌を露出して注目されているようなタレントとは違う・・・」なんてつまらない話がいろいろ出て来て嫌になってしまった。
そんなアフーさんが、2010年の映画で思い切ったベッドシーンを演じたのには驚いた。あれには、私のようなエロ中年男の多くが感涙にむせんだことであろう。
まあ、脱いだと言っても、背中が露になるくらいだけれど、トルコで“コンセルバトゥワール”を卒業された女優さんにしては、なかなか革新的な演技だったのではないかと思う。
トルコの左派アタテュルク主義者たちは、女性の肌の露出をまるで近代化の証しであるかのように言うが、“コンセルバトゥワール”を出ている左派革新の女優たちは、まず余り脱いだりしない。脱いだら“はしたない”と思っているのだろうか?
叩き上げのヒュリヤ・アブシャルさんは、若い頃、かなり際どいシーンにも挑んでいた。お陰で“ミッリ・ファイシェ(国民的娼婦)”などと有り難くない呼び名まで頂戴している。“コンセルバトゥワール”を出ていないからしょうがないのか・・・。
しかし、企業が人材確保の為に学歴を重視するのは当たり前だけれど、芸術の分野で余り学歴に拘りすぎたら、革新的な創造は生まれ難くなるような気がする。
“コンセルバトゥワール”の本家フランスは、エディット・ピアフを見出し、その芸術性を称賛してやまなかった。
日本では、かつての映画会社で最も高学歴者がそろっていたのは、学卒採用制度を取っていた日活だったらしい。ロマンポルノ「団地妻・昼下がりの情事」の西村昭五郎監督は京大仏文科、「八月はエロスの匂い」の藤田敏八監督は東大仏文科。 
巨匠と称えられる黒澤明小津安二郎成瀬巳喜男溝口健二の中で、大学を卒業しているのは一人もいない。

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