メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

“白いトルコ人”と“声無き民衆”

作家のアレヴ・アラトゥル氏は、今年になって「ベヤズテュルクレル・キュストゥ(白いトルコ人はむくれている-?)」という著作を上梓している。
“白いトルコ人”というのは、西欧的な生活スタイルを身につけたエリート層を指す造語で、AKP政権に対してむくれている旧エリートらをテーマにした小説らしい。
どんな話か、ちょっと読んでみようかと思っているうちに、“白いトルコ人”は、とうとう怒りを爆発させてしまったようだ。
2週間ほど前、市内の大学に、宗教教育学の先生を訪ねて来たが、彼は雑談の中で、不機嫌な“白いトルコ人”について、次のように話して笑っていた。
「例えばね、行儀の悪い猫を叩いて叩いて追い詰め過ぎると、ついには歯向かって噛み付いたりするじゃないですか、私たちは最近それを恐れているんですよ」
そして、10日も経たないうちに、これは現実となってしまい、軽口を叩いているどころではなくなった。
しかし、日曜日にタクシム周辺を歩いて以来、私は別のことを恐れ始めている。
あの日、店を汚されて一生懸命掃除していた人たちは、明らかに怒っていたが、彼らの多くは表現の手段を持っていないから、黙って堪えるよりなかっただろう。
翌日、保守的な黒海地方のユンエで教員を務めている友人に、電話して話を聞いたら、「いや、我々50%側の人間は、常識というものを弁えていますから、デモなんてやらないし、デモやっている人たちと衝突することもありません。ご心配なく・・」と楽観していた。
ところが、昨晩、外遊先から戻ったエルドアン首相をアタテュルク空港に出迎えた人々の様子はどうだっただろう? 夜中の1時を過ぎていると言うのに、まるで凱旋将軍を迎えるような熱気に包まれていた。
エルドアン首相が、デモには屈しないと強気な態度を崩さなかったため、彼らは安心して家路についたみたいだが、彼らを送るため、市の交通局が地下鉄の臨時便を走らせるという“とんでもないおまけ”も付いていた。
今日は、近所のジャー・ケバブ屋さんで昼飯を食べながら、この店の人たちにも話を聞いてみた。
「あんなデモやっている連中は、国民の10%も代表していない。無駄だよ。何も変わらない。エルドアンの支持者はね・・・」
「50%ですか?」
「違う。もう70%だ。私らはMHP(民族主義行動党)支持者で、AKPに票を入れたことなんてなかったけれど、エルドアンを応援するよ!」
さすがに、多くの識者から批判の声が出ているから、エルドアン首相が、こういった“声無き民衆”を背景に、ますます強気に出ることはないと思う。またそう祈りたい。
しかし、フェースブックにも、抗議デモの人たちを「シャラップチュ(葡萄酒屋?)」、つまり“酒飲み”と呼んで非難する書き込みが見られる。
この社会の大多数を占める保守的な人たちが、怒りを爆発させないまでも、不満を高めて、不機嫌な視線を向けるようになったら、我々“酒飲み”は辛い。私はこれを恐れ始めている。