メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

騒乱はもうたくさん

一昨日の土曜日、タクシム広場から警官隊が撤退して一段落ついた後、やはり気になったのか、広場まで様子を見に行った崔さんは、韓国料理店に戻って来ると、「あいつらはデモのやり方も解っていないのか」と呆れていた。

「広場を占拠したら、直ぐ仮設の舞台を用意して、代表者がメッセージを発信しなければならない。いったい何のためにデモをやったんだ」

これに、料理店の実質上の経営者である奥さんも相槌を打って、「韓国の民主化デモの時は、周囲の商店の人たちが炊き出しやったりして、デモを応援したもんだけど、この人たちは店の椅子に勝手に座ってゴミ散らかして、何か出して上げる気にもなれないわよ」と言う。

抗議デモのグループには、TKP(トルコ共産党)の旗が目立っていたが、果たしてどのくらい主導権を持っていたんだろうか。メッセージを発信できる“代表者”なんて何処にもいなかったかもしれない。

ところで、93年頃からの付き合いである崔さん。彼の犬食嫌いにも、先月、やっと気がついて驚いたが、学生時代にデモやっていたというのは、これまた新しい発見だった。考えてみたら、私より二つ年上の崔さんが、韓国の民主化闘争を経験して来なかったはずがない。

韓国料理店は、外にも何席か設けてあって、抗議デモの人たちは、ここに勝手に座っていたわけだが、ちょっと話しかけて見ると、「貴方は日本人なんですか?」と嬉しそうに応じてきた。

しかし、「日本だったら、エルドアンみたいな政治家はとっくに辞任しているでしょ?」と訊かれて、「いやあ、エルドアン氏に日本の首相になってもらいたいくらいですよ」と答えたら、表情ががらっと変わった。

それから少し問答が続いたけれど、私が彼らの思想に賛同していないと明らかになったら、一人を残して、皆、何処かへ立ち去ってしまった。残った男は、「ここはビールを売っていないのか?」と言い出し、ビールを持って来させると、黙って一人で飲み始めた。

あそこで、何故、ビールを飲みたくなったのか良く解らない。よっぽど苛立ったのかもしれない。あまり美味いビールじゃなかったと思う。まさか、私がエルドアン氏の肩を持ったものだから、『こいつもイスラムに違いない?』とでも考えたのだろうか?

この手の左派・政教分離主義者の中には、時々、『まさか』という発想の人がいて驚く。5月1日のメーデーで出会った人が、「PKKのオジャランは賢いが、エルドアンは愚かだ」と言うので、「何故?」と訊いたら、「エルドアンは宗教を信じているんだよ」と答えた。

こんな人の話は聞かなかったことにして、放っておくべきなのかもしれないが、教員組合のグループの中にいたのだから、彼もおそらく教員だったのだろう。決して教育のない人ではなかったはずだ。

同じく教育のあるイスラム的な人たちは、少なくともこちらの異見を聞いてくれる場合が多い。しかし、左派・政教分離主義者の中には、異見に対して全く忍耐のない人がかなりいるので驚いてしまう。

ある政教分離主義者の友人は、「我々が民衆を引っ張る機関車の役割を果たさなければならない」と良く語っていた。彼らの“政教分離主義”とは、脱宗教であり、つまり『宗教を信じる無知蒙昧の民を、我々宗教を棄てたエリートが導かなければならない』と考えていたらしい。

一部の政教分離主義者が、2007年まで、いざとなれば、軍が非民主的な手段で、イスラム的なAKP政権を転覆できると信じていたのは事実だろう。そのぐらい、自分たちは一段高いところに立っていると思っていた人たちが、今、逆の立場に追い込まれて、必死に抗議デモを敢行している。

今日のミリエト紙のコラムで、アスル・アイドゥンタシュバシュ氏は、タクシム広場がタハリール広場になる可能性は無く、今後、「・・・トルコの得票率に大きな変化があると期待するのは、革命のロマンティズムに過ぎない」と述べ、現在、抗議デモに加わっている人たちの多くは、「・・・政権から疎外され、罰せられたと感じている“都市住民、政教分離主義者、中流層”」であると明らかにしていた。

しかし、今は疎外されているかもしれないが、数年前までは“エリート層”であると自覚していただろうし、相変わらず生活水準は高く、暇も多い。民衆から同情されるような立場じゃないと思う。

このエリート意識を持った、余り異見に耳を傾けない人たちを、政府は何とか説得しなければならなくなってしまった。これ以上、催涙弾で制圧するのは不可能だろう。

かつて、イスラム的な人たちは、もっと忍耐強く、こちらの話を聞いてくれたけれど、それは、政教分離主義者がエリート層を占める社会で、仕方なく身についてしまった術だったかもしれない。政権について以来、彼らも急速に忍耐を失っているような気がする。ついには限度を超えて催涙弾をぶっ放すに至った。

どうか、かつての忍耐を思い出して譲歩し、説得に努めて欲しい。騒乱はもうたくさんです。