メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

餃子は中国式、催涙弾は韓国製?

今日、ヨーロッパ側新市街の中心タクシムにある韓国料理屋に、イズミルから出て来ている崔(チェ)さんを訪ねたら、周囲は騒然とした状態だった。
タクシムの広場に隣接する“ゲズィ公園”という緑地が取り壊され、跡地にショッピング・モールを備えた大きな建造物が作られることになり、これに抗議する人々が、数日前から公園に立て篭もっていた。
そして、昨日、人々を排除しようとした警官隊が催涙弾を発射して大騒ぎになり、これをニュースが大々的に報じていた。今日は、抗議活動を支援する5千人以上の人たちが、一斉にタクシム広場に向かって歩き始めていたらしい。
その為、多くの交通機関がストップしていて、私もタクシムに行くため、ドラップデレという所から、15分ぐらい歩かされたが、こちらの方は割と静かで、広場近くの韓国料理屋まで、難なく辿り着くことができた。
しかし、着くと間もなく、行進してきた抗議グループがいよいよ公園に迫り、バリケードを壊して、中へ突入し始めたので、私も野次馬根性を抑えがたくなり、カメラを持って見に行ったところ、警官隊がまた催涙弾を発射したらしく、公園に突入していた人たちが、一斉に逃げ出し始めた。
87年のソウルでは、何度も催涙弾付きの衝突に居合わせたから、『このぐらいは未だ大丈夫』と、暫く様子を見ていたけれど、そのうち目を開けているのも辛くなって来たため、韓国料理屋に戻った。
戻ったら、食卓に餃子(マンドゥ)が出て来て、私も御馳走になったが、韓国のマンドゥとは違うような気がして、崔さんの奥さんに訊くと、「調理しているのが、中国から来た朝鮮族の人でしょ。餃子も中国式みたいね」と説明してくれた。
マンドゥを食べていると、窓の外には、退却し始めた抗議グループの人たちが見える。崔さんは、「なんという腰抜けだ。前進しろ、突っ込め!」と愉快そうに吼えた。実際、87年のソウルだったら、もっと激しい衝突になっていただろう。トルコでも、70~80年代のデモは凄かったらしいが・・・。
しかし、催涙ガスが料理屋の中にも漂ってきて、崔さんは頻りにくしゃみする。奥さんは、「あの催涙弾は、韓国から輸入しているんだってね。韓国製なのよ」と笑っていた。
暫くすると、抗議グループの人たちが、再び公園に向かって歩き始めた。少し前に、エルドアン首相が警官隊に撤退を命じたという報道があったらしい。
マンドゥを食べ終わると、私は性懲りもなく、また様子を見に行った。公園と広場は、“勝利”を祝う人たちでごった返していた。公園の方へ、柵を乗り越えて入ろうとしている若者たちが見えたので、私もその後に続いたら、同志だと思われたのか、手を差し伸べて引き上げてくれた。振り返ると、20歳ぐらいの綺麗な女性が手を差し出しているのが見えたから、今度は私が引き上げてやった。お陰で3年ぐらい若返ったと思う。
さて、これからどうなるだろう? ショッピング・モールの誕生には、広場周辺の商店主の中にも、反対している人が少なくなかったけれど、当初、「公園の緑を守れ!」という抗議活動には、「私らの声は聞かないで、樹の声を聞くのか?」と不快感を表していた。
トルコでは、もう10年に亘って、イスラム的と言われるAKP政権に抗議する左派知識人らがデモを起こす度に、「暇があって結構な人たちだ」とこれを冷ややかな目で見る民衆が、さらにAKPの支持に回るという皮肉な現象が続いていた。
しかし、今回は、当初、抗議活動に不快感を表していた人々も、催涙弾の発射を“やり過ぎ”と感じたのではないだろうか。これを機に、予てから不満に思っていた“ショッピング・モール”に対して、抗議に加わってくるかもしれない。
ただ、エルドアン首相が、警官隊の撤退を決断したことには、一定の評価を下す人も少なくないはずだ。願わくは、建設計画からも撤退して、公園を残してくれたらと思う。
来年のイスタンブール市長選挙はどうなるだろう? そして、2020年のオリンピックは? 何だか、東京に続いて、イスタンブール自殺点を叩き出してしまったように見えるが・・・。
私も今日一日振り返ると、中国式の餃子は美味しかったが、韓国製の催涙弾はとても苦かった。もう二度と味わいたくない。


ゲズィ公園騒動

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