メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

スウェーデン移民トルコ人女学生との思い出

スウェーデンの移民暴動事件が報道されていた。スウェーデンを始めとするスカンジナビア三国は、是非訪れてみたい地域なので、とても残念に思っている。
私は凄く寒がりなのに、行ってみたい国々は、どういうわけか寒そうな北国ばかりだ。中国も先ずは北京で、それからモンゴル、ロシア、スカンジナビア三国。
特にスカンジナビア三国の場合、歴史や雄大な自然もさることながら、“世界で最も社会制度が発展している国”というイメージがあって、そこに憧れを感じていた。それなのに、何という事態になってしまったのか・・・。
91年の夏、イズミルのアルサンジャク学生寮では、多くの寮生たちが夏休みで郷里に帰ってしまったため、私らの6人部屋に残った寮生が集められ、他の部屋は外国人ツーリスト用のペンションになっていた。
このペンションに、4~5日の間、スウェーデン移民という2人のトルコ人女学生が泊まっていた。
2人は、10歳ぐらいまでトルコで育った後、家族と共にスウェーデンへ渡り、当時は21~2歳だったのではないだろうか、スウェーデンの大学で学んでいると話していた。
両親が何しているのか尋ねたところ、驚いたことに、スウェーデン政府から生活費の支給を受けて、スウェーデン語の学校に通っているだけだと言う。この語学学校を卒業しないと就職できない決まりになっていて、それまではスウェーデン政府が生活を保障してくれるそうだ。
娘たちは、さっさとスウェーデン語を習得して、大学に入ってしまったのに、両親らは、10年もの間、語学学校に通い続けているらしい。勉強せずに、成績が全く上がらない場合、国外退去処分を受けたりするけれど、少しでも努力の跡が見られれば、政府が面倒をみてくれる。何と素晴らしい制度なのかと驚いてしまった。
2人の女学生は、どちらもなかなか美人だった。一人は彫りの深いエキゾチックな面立ちの肉感的な美人、もう一人は、のっぺりした東洋風の顔にすらりとした体つき、広い額と切れ長の目が知的な雰囲気を醸し出していて、要するに、私の好きな要素が全て揃っていた。
2人とも、トルコ語の他にペルシャ語が少し解ると話していたが、ひょっとするとクルド系の人たちだったかもしれない。
彼女らが宿泊するようになって、何日目の晩だったか、寮の食堂で、26歳と少し年が行った寮生ハイレッティンと談笑していたところ、そこへ彼女たちが血相変えて転がり込んで来た。
なんでも、乗ったタクシーの若い運転手にしつこく誘われ、振り切って逃げて来たつもりだったが、最初に何処に宿泊しているのか言ってしまったため、その運転手が寮の下まで来て様子を覗っていると言うのである。窓から下を見ると、それらしい奴がうろうろしている。
ハイレッティンは、「ここで引き止めるから、君たちは部屋に入っていなさい」と言い、彼女たちが出て行くと、間もなくして、運転手が食堂まで上がってきた。不良っぽい、見るからに危なそうな奴だった。
スウェーデンから来た娘たちが泊まっているはずだが・・・」と面会を求める運転手に対し、ハイレッティンは、「まだ戻っていない」とはぐらかし、取り留めない世間話で運転手の気を逸らそうとする。結局、かなり長い時間粘った末、運転手は帰って行った。
彼女たちは、とても喜び、ハイレッティンが、翌日の晩、4人で何処か食事に行こうと提案すると、これを快く承諾してくれた。
翌日の晩は、ハイレッティンの希望で、コナックにある中華料理屋に行った。ビールで乾杯して、話も弾んだ。
東洋風の彼女は、ギャルソンを呼ぶのに、私が何と言ったのか、もう一度教えてくれと言い、その理由を説明した。「10歳(?)までしかトルコに居なかったし、スウェーデンではトルコ語を家族と話すだけだから、こういう場所で何と呼びかけて良いのか解らないんですよ」
ハイレッティンはビール飲んで上機嫌になり、「僕はこの晩の食事を一生忘れない」と繰り返した。確かに、私は22年経った今でも、あの一両日の出来事を鮮明に思い出せる。ハイレッティンは覚えているだろうか?
そして彼女たち、43~4歳になっているはずだが、結婚して子供たちも、もう大きくなっているかもしれない。賢明な彼女たち自身は、大学を卒業して、多分、満ち足りた生活をしていると思う。しかし、移民暴動の事件には心を痛めているに違いない。
問題が速やかに解決され、スウェーデンという国が、また新しい文明の叡智を示してくれることを祈る。彼女たちの為にも・・・