メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

光化門と景福宮

1987~88年、1年半に亘ってソウルに滞在していた頃は、この光化門と景福宮の間に、日本統治時代の朝鮮総督府庁舎が建っていた。
当時も撤去を望む声が高かったものの、全斗煥大統領が、「日本統治時代も我が国の歴史の一部である」と言って、撤去させなかったそうだ。その後、金泳三大統領によって、95年に撤去された。
私は、95年以降も何度かソウルを訪れているけれど、総督府庁舎が撤去された後の景福宮に入ったのは、今回が初めてだった。総督府庁舎が無くなって、光化門と景福宮が互いに調和の取れた美しさを見せていたと思う。
総督府庁舎は、周囲の古風な景観に全く合っていなかった。朝鮮の独立を奪ったばかりか、その歴史まで踏み躙るかのように、あんな庁舎を建ててしまうなんて、あの時代の日本は、やはりどうにかなっていたとしか思えない。明治維新を実現させた、もう一つ前の世代、例えば伊藤博文が生きていたら、あれを認めただろうか? そんなこと考えてみても意味はないけれど・・・
「日本統治時代も我が国の歴史の一部である」と言った全斗煥大統領の気持ちも解らなくはないが、あのミスマッチ建造物がずっと残っていたら、我々も居た堪れない。今回、すっきりと調和の取れた光化門と景福宮を見学して、何だかホッとした。

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