メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ソウルに日本が溢れていた

韓国は、2003年以来、10年ぶりだったが、2003年の前は、1998年に韓国を訪れている。
1998~2003の5年間は、ちょうど金大中大統領の任期と重なり、日本文化の開放などもあって、2003年、5年ぶりに訪れたソウルの街角では、日本語の看板がやたら目につくようになったと感じた。
そして今回、10年ぶりのソウルの街角は、まるで日本語が溢れているかのように思えた。中心街のミョンドンを歩いていると、日本語の看板ばかりでなく、日本語で呼び込みを計る大きな声に驚かされた。
日本語の看板を掲げている眼鏡店の前では、25歳ぐらいの青年が、おそらく殆どが韓国人と思われる群衆に向かって、「メガネ、いかーすか。メガネ、いかーすか」と大声で連呼していた。『如何ですか』じゃなくて、「いかーすか」と新宿辺りの呼び込みさんみたいになっている所が凄いと思った。
声を掛けてみると、青年は日本語がべらべらで、どうやら「いかーすか」も本場仕込みのようだ。
回転寿司や“居酒屋”の看板を掲げる店が至るところにあり、“カレー壱番屋”の前には若者たちが長蛇の列を成していた。その二軒先には、“あびこカレー”という日本語の看板を掲げた店もあった。ネットで調べてみると、この店は大阪の我孫子で暮らした経験のある韓国の人が経営しているそうだ。しかし、なんで看板まで日本語にしたんだろう?
この街で、数ヶ月前に“反日”の嵐が吹き荒れていたなんて、到底信じられなかった。
しかし、反日的な韓国の知識人にしてみれば、現状は、ソウルに日本が氾濫しているように思えるかもしれない。氾日が反日に火をつけてしまったのか・・・。
とはいえ、日本にも韓流が浸透して、大久保などは、まるで韓国の街のようになっていると言うから、これはお互い様だろう。韓流の氾濫に苛立って、爆発寸前といった感じの右翼的な日本人もいる。
結局、少数派に過ぎない双方の“爆発寸前”が騒いでいるだけで、日韓の交流は着々と進展しているのではないかと思う。10年ぶりの韓国はとても楽しかった。そして何より、とにかく美味しかった。

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