メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国の女性は可愛くても恐ろしい

1987年の初秋、韓国のソウルに語学留学して未だ3ヵ月目ぐらいの頃だと思う。週末にインチョンに出かけて晩飯もそこですませ、ソウルへ戻る地下鉄の駅へ向かおうとした時である。
繁華街の一角に人だかりが出来ていたので覗いたら、7~8人の男たちが入り乱れて殴り合いの真っ最中だった。
男たちの3~4人は軍服を着た若い連中で、おそらく徴兵期間中なのだろう。もう一方はスーツ姿のサラリーマン風だったが、こちらも大学を出たての24~5歳に見えた。彼らは一足先に徴兵を終えていたに違いない。
私が道路わきの壁にもたれて観戦し始めた時点では、既にサラリーマン組が有利な形勢で、テコンドーの心得でもあるんじゃないかと思われる青年が防戦一方になった軍服姿の一人を激しく殴打していた。
すると、形勢不利に苛立った軍服のもう一人がウイスキーの瓶を放り投げたが、瓶は大きく目標をそれ、私の頭上の壁に当たって炸裂、私は頭からウイスキーを被ってしまった。
それからのことである。殴打されていた軍服はよろけて横転し、少しぐったりした様子だったが、そこへ見物の中から若いOL風の女性が躍り出て、「この野郎!」などと叫びながら倒れている軍服の所へ突進、ハイヒールの足を軍服の顔の辺りへ2度ほど蹴りおろしたのだ。なんとも戦慄的な光景で、これで勝負がついたのだろう。サラリーマン組は女性を抑えて引き離し、軍服組はぐったりした仲間を抱えるようにしながら逃げて行った。
女性はサラリーマン組の連れのようであり、多分、軍服組が彼女へ何か言ったことから喧嘩になったと思われる。ごく普通なOL風で、ちょっと可愛らしいぐらいだった。お陰で、私の弱い頭に、『韓国の女性は可愛くても恐ろしい』という認識がインプットされてしまった。
しかし、この喧嘩騒ぎでは、韓国の人たちの儒教的な礼儀正しさも再認識した。軍服組が逃げ去って騒ぎが収まった後、サラリーマン組の一人が、ウイスキーを拭っていた私の所へ来て、「私どもの喧嘩で御迷惑をおかけしてすみません」と丁重に謝ったのである。私は何か喋ったら、日本人であることが明らかになって面倒だと思い、手のジェスチャーで『大丈夫だ』と伝えて、その場を後にした。

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