メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ベトナムからイラン、トルコへ・・・

先日のベトナムとイランを経由してトルコへ渡ってきた韓国の人たちの話ですが、昨日、イスタンブール在住の日本人女性と雑談していたら、この方もキム・ドゥギョンさんとお知り合いだったことが解りました。私よりもっと近い付き合いをされていたようです。しかし、5年ぐらい会っていないので、今どうされているかは知らないという話でした。

私も最後にキムさんにお目にかかったのは5年ぐらい前だったでしょう。それも街角で二言三言挨拶を交わしただけです。息子さんとは、3年ほど前に会って、その変貌にちょっと驚いたことがあります。

私がキムさんやその家族と良く会っていたのは92年から94年にかけてで、息子さんはその頃、エティレルにあった韓国カラオケでバーテンをしていました。19歳ぐらいだったでしょうか。凄くハンサムで、韓国の若者らしく年上の人間にはやたらと礼儀正しかったけれど、ちょっと突っ張った不良っぽいところがあり、ロックを英語で歌ったりすると、なかなか様になって格好良かったです。それが、3年前に会った時は、荒々しい角が取れていたうえ、少し太った所為もあって何だか随分丸くなったように感じられました。彼は韓国で兵役を済ませ、韓国企業のトルコ支社長に収まっているそうで、お父さんのキムさんも元気であるという話でした。

日本人女性の話によれば、キムさんは、イランにいた頃、日本企業に勤務して結構羽振りも良かったのに、トルコへ渡って来た時は、既に60歳を越えていたので、適当な仕事が見つからずに苦労したものの、息子さんが韓国人女性と結婚した際には、数十年ぶりで韓国へ帰国し、サイゴン陥落のどさくさで行方不明者にされてしまった自分の墓を見て驚いたそうです。

また、日本統治時代の子供の頃、日本人からとても親切にされて良い教育を受けたので、何とか日本の人たちへ恩返しがしたいと仰って、この日本人女性に親切にしてくれたと言います。私はキムさんと韓国語で話したりしていたから、日本人とは思われていなかったのでしょうか。こういった話は伺いませんでした。