メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

多様性は豊かさなのか?

オスマン帝国の時代、シリア正教の総主教座はマルディン県に所在していましたが、現在はシリアのダマスカスにあります。スリヤーニと呼ばれるシリア正教徒の方から聞いた話では、共和国の初期(1932年)に当時の総主教が亡くなり、後継者はマルディンで総主教の座に就こうとしたものの、共和国政府がこの人物のトルコへの入国を認めなかった為、マルディンは総主教座を失ってしまったと言います。

10年ほど前、あるトルコ人の識者の方と話していてこの件に触れ、残念に思うと伝えたところ、彼は少し表情を曇らせ、「総主教座が所在することは文化的な豊かさだと言いたいのですね」と確認した後、「私はそう思いません」と否定しました。偏狭な民族主義イスラム主義とは全く縁がない、視野の広い人だったから、こんな言葉が返って来ようとは予期していませんでした。

当時、彼は、何故そう思わなかったのか一々説明してくれなかったけれど、最近になって少しはその何故が解るような気もします。

トルコ共和国は、様々な民族や宗教を内包していたオスマン帝国から、近代的な国民国家を創り上げようと苦難の道を歩んできました。ところが、最近になって、今度はグローバル化の嵐の中で、国民国家の終焉を望むかのような論説まで堂々と主張され、その苦難の歩みに暗い影を投げかけています。

トルコという国を彩る多様な文化は、外から見れば美しい花畑のように見えるものの、その中で自己のアイデンティーを求めてさまよう人たちにとっては、煩わしい歓楽街のネオンサインのように見えているかもしれません。

日本について良く知っているトルコ人は、画一的な日本の社会を羨ましがり、その有難味が良く解っていない日本人を窘めようとします。分らず屋の私は、それでもトルコの多様性を賛美してやまなかったけれど、ここに至って漸く少し解り始めたというわけです。

文明の十字路に位置するアナトリアには、それこそ何千年もの間、様々な民族、宗教、文化が行き交い、その中で人々は何とか折り合いをつけながら暮らしてきました。折り合いの付け方に関して、島国の我々とは比べ物にならないほど熟練した達人であると言えます。その達人の忠告を有り難く聞いて置いて損はありません。

実のところ、日本も一時期、多民族の帝国を試みたけれど、その結果はどうだったでしょう。

何処で読んだのか忘れてしまいましたが、敗戦から間もない頃、ある右派の政治家(これも忘れました)が国民を元気付ける目的でこんなことを言ったそうです。「今までは朝鮮人とか訳の分からない連中と一緒にやって来ましたが、これからは我々日本人だけです。力を合わせて頑張りましょう」。

一緒にやって行こうと選択して、それを実現させたのは日本の方だから、これは「我々の選択は失敗でした」と自ら過ちを認めている発言にも聞こえます。

80年代以降、外国人労働者の受け入れに反対して、右翼的な勇ましい発言を繰り返す人たちも、裏を返せば、戦前の失敗に懲り懲りして、深く反省しているということじゃないでしょうか。

やはり、一つの社会で一緒に暮らして行くには、共通の価値観がある程度なければ難しいように思えます。多くの場合、宗教がその要になっていて、オスマン帝国では、宗教毎に別の社会が構成されていたから、様々に異なる宗教の人たちが交じり合って暮らしていたわけではなかったようです。

 

merhaba-ajansi.hatenablog.com