メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

古き良きトルコの思い出

前回の“キャリアウーマンの涙”という話、イズミルに近いマニサのホテルが舞台だったのですが、このマニサには大規模な工業団地があり、今月の上旬も、この団地内の工場に出張する機会を得て、あのホテルに宿泊したけれど、まあ今回はこれといったトラブルもありませんでした。
出張した工場は、欧州の規格に準じた近代的な設備を有し、エンジニアや工程で作業している人たちも意欲的にロスの軽減等に取り組んでいました。
二代目であるというオーナー社長は、未だ30代ではないかと思われる若い方で、作業員と同じユニフォームを着て良く工場内を巡回しているから、度々その姿をお見かけしたことがあります。なんでも、朝はどの従業員よりも早く出社し、夜は必ず残業して一番最後に退社するそうです。トルコでも、最近は若い世代を中心にして、こういった経営者が増えているのではないでしょうか。
さて、次は、92年頃にエディルネ近郊の工場を訪れた時の思い出であり、“古き良きトルコ”を今よりもっと濃厚に感じることができた時代の話です。
その頃、91年にイズミルのアルサンジャック学生寮で一緒だった電気工学部の学生ムジャイが、実家のあるエディルネ近郊の工場で研修生として働いており、私は、やはりアルサンジャック学生寮で一緒だったムスタファと共に、ムジャイをエディルネに訪ねました。
その日は日曜日で、午前中にエディルネへ到着すると、3人でエディルネ市内を見物し、夕方、ムスタファが兄夫婦の待つルレブルガスへ帰った後、私とムジャイは、夏休みで誰もいないムジャイの親戚の家に上がり込み、次々とビールを飲み干しながら、夜遅くまで語り合いました。
その晩、ムジャイは「明日、9時までに工場へ行くことになっているから、8時には起きないといけない。お前も起こすから一緒に工場へ行こう」と話していたのに、朝起きてみたら、時計は既に9時を指しています。

ムジャイも起きたばかりのようだったけれど、別段慌てる様子もなく、コーヒーを一杯飲んでから出発。

途中の公衆電話で工場へ電話を掛けたムジャイは、「未だ責任者も出社していないから、慌てることはない」と言い、近くの停留所からバスに乗り込むと、10分ほどで工場に到着しました。

そこはかなり大規模な紡績工場であり、工場の電気系統をチェックするのがムジャイの仕事なんだそうです。工場内のオフィスに着いたら、既に10時近かったものの、未だ責任者の姿はありませんでした。
ムジャイは、先ず朝の巡回チェックをしなければならないそうで、私を引き連れて巡回しながら、色々と工場内を案内してくれます。

それからオフィスに戻ると、責任者もようやく姿を見せていて、ムジャイが私のことを紹介したら、大いに喜び、早速お茶を三つ持ってこさせ、お茶を飲みながらの雑談となりました。
責任者のエンジニアは40歳ぐらい、実に朗らかな親しみ易い人物で、雑談は日本のことや自分たちの家族のことなど取り留めない話題の上に延々と続きます。

その内、私はお茶を何杯もお代わりした所為か、小便がしたくなってしまい、工程内にあるトイレの場所を教えてもらって、一人でそこへ行ったところ、そのトイレは、日本の学校や会社などでも良く見られる、大便用に仕切られている所が三つぐらい、小便用の朝顔が四つぐらい並んだものでしたが、先ずドアを開けた瞬間に、「あっ!」と驚いて立ちすくんでしまいました。
トイレの中では、ざっと10人ほどの工程作業員たちが、洗面所や朝顔の前などに陣取って煙草を吸っていたのです。

どのくらいの時間、そうやって煙草を吸っていたのか、トイレの中には煙がもうもうと充満しています。私も驚いたけれど、作業員たちも突然闖入してきた東洋人に驚いたようであり、お互い会話を交わすこともなく、私は用を済ませると、さっさとそこを後にしました。
オフィスに戻り、責任者氏とムジャイにトイレで目撃したことを報告したところ、責任者氏は訝しげに「それって、トイレの中ですよね?」と確認してから、にっこり微笑み「それなら何の問題もありません。

外で吸われたら、ここは紡績工場ですから困ったことになるけれど、その辺のことは作業員の人たちも皆良く知っていますからね」。
しかし、あれではサボっていることになるのではないかと申し上げたら、今度は愉快そうに笑い、「えっ? サボっているって? それじゃあ、この工場の責任者たる私は何をやっているんでしょう? 遅刻してきた上、こうしてお茶を飲みながら無駄話しているだけで、仕事らしいことなんて未だ何もしていません。ところで、この工場のオーナーは今頃何していますかね? きっと何処かで寝転んでいるに違いありません。だから私もこれ以上働く気にはなれないし、作業員の皆さんも同じことです。ワッハハハ」。
私たちは、結局、昼まで雑談を続け、私は昼を御馳走になってから工場を後にしました。

merhaba-ajansi.hatenablog.com