メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブールに乾杯

京都の日本トルコ文化協会が発行している“キョプル通信”の秋号に、「イスタンブールに乾杯」と題した私の投稿記事が掲載されたので、こちらでも紹介させてもらうことにしました。
実際にこの記事を書いたのは6月末のことであり、8月の末まで暮らしていたウスキュダルのアパートで同居していた友人たちとの交流を題材にしました。
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イスタンブールに乾杯】
私のトルコ暮らしもそろそろ12年近くになる。その間、アダパザル県で過ごした3年半とイズミル県での1年を除けば、生活の拠点はいつもイスタンブールだった。

しかしながら、イスタンブール市内を転々として、同じところに余り長く居たためしがない。今住んでいるウスキュダルのアパートに越して来たのは一昨年の11月だから、未だ一年半しか経っていないけれど、これが一番長い期間になるのではないかと思う。
ウスキュダルは、欧亜両大陸にまたがるイスタンブールのアジア側に位置するが、アパートから10分ほど歩けば、ボスポラス海峡に出て、向こう側のヨーロッパ大陸を望むこともできる。そこからはヨーロッパ側へ渡る船があり、交通の便は極めて良いし、アパートの周辺は静かで環境も悪くない。
私は3LDKのこのアパートを二人のトルコ人青年とシェアして借りた。オカンとハムザ、共にカフラマンマラシュ県出身の28歳、高校の同級生同士だそうだ。

彼らは、日本の建設会社が進めているボスポラス海峡のトンネル工事に関わる現場で作業員として働いている。私も一昨年は同じ現場で通訳を務めていて彼らと知り合った。

いずれも身体能力抜群という体育会系の好青年で、よく働き、よく遊び、そして適度に飲む。オカンは少しシャイなところがあるけれど、ハムザの方はなかなか曲者だ。恋の道にも長けているらしい。女性の口説き方から酒の飲み方に至るまで、ハムザがオカンに教えたそうである。

私は彼らより20歳近く年長だけれど、女性の口説き方では、私もハムザ兄貴の講義を受けているから、このアパートの親分はやっぱりハムザだろう。
ここは現場から近い為、時々、他の作業員たちも集まってトランプ等の賭け事に興じたり、酒盛りしたりしている。

私は若い頃、関東でダンプの運転手をしながら飯場暮らしをしたことがあるから、彼らを見ていると、つい当時のことを思い出してしまう。飲む・打つ・買う、日本でもトルコでも現場の男たちがやる事は余り変わらないようだ。

しかし、日本の飯場には、そこへ来る前は刑務所に居たとか、クスリに手を出したこともあるとか、なかなか危ない御仁がいたものだけれど、それに比べてこちらの連中はかなり常識的で大人しいような感じがする。

ハムザに訊いたら、「トルコでそういう危ない連中は働いたりしないんだ」と言う。また、ハムザにしろオカンにしろ、お世辞にも“敬虔なイスラム教徒”とは言い難いが、全く信心がないわけではない。

一昨年のラマダンには二人とも断食を実践していなかったのに、去年はそろって実践していたので少々驚かされた。平時、彼らは礼拝することさえないが、共同生活を始めたこともあって、断食の実践により連帯感を高めたかったのかもしれない。もちろん、ラマダン中は昼夜を問わず酒を絶っていた。
さて、これはつい先日のことだが、夕方、オカンとハムザは、現場から、常連のメンバーであるムラット、アスラン、ムハレムを伴って帰宅した。

ムラットとムハレムは妻子持ちで30代後半、特にムラットは現場のリーダー格であり、ハムザも彼には一目置いている。まあ、大親分といったところだろう。

ムハレムも、オカンとハムザにとっては以前の職場からの先輩であるはずだが、至って気さくな男で、兄貴分といった風でもない。アスランは未だ23歳ぐらいじゃなかったかと思う。茶目っ気のある陽気な青年だ。
この日は皆で夕食会ということになり、オカンとハムザが調理を担当、あっという間に“メネメン”という“トルコ風卵とじ”をこしらえた。

リーダーのムラットは、その場を盛り上げようと、いつもの如く卑猥な冗談を繰り返していたけれど、食事には余り手をつけない。自宅で妻子が待っているから、色々考えなければならないこともあるのだろう。

雑談の中に結婚の話題が出て来たら、打って変わって真面目な口調になり、「可能ならば同郷の女性と一緒になるのが良いだろうね。習慣や伝統の違いにお互いが悩まさられることもなく、家庭が円満になる」と力説しながら、自分の家庭も気になり始めたらしい、早々に暇を告げてアパートを後にした。親分を務めるのも楽ではないようだ。
ムハレムの方は、子供たちの学校が夏休みに入ると、妻子ともども黒海地方の郷里へ帰ってしまったそうで、最近は良くこのアパートに泊り込んだりしている。

イスタンブールの自宅はヨーロッパ側のかなり遠い所にあるから、夕食を食べてしまったら、とても帰る気にはなれないのだろう。「さて、ビールでも飲もうか」と言い出した。すると、これを受けてハムザが「今日は気分を変えて外で飲もう」と立ち上がったので、ぞろぞろと皆で繰り出すことになった。
海峡の船着場の辺りまで来て、『いったいどの店に入るつもりなんだろう?』と思っていたら、ハムザは酒屋に入って缶ビールを買おうとする。「それを何処で飲むんだ?」という私の問いに、「何処って、その辺の海岸だよ」とハムザは当たり前な顔して答える。

しかし、ウスキュダル区の条例により、海峡沿いの公園等における飲酒は一切禁止されたはずだから、「大丈夫なの?」と訊けば、「関係ないさ。実を言うと、昨日もあの辺で飲んでいたんだ。そしたら、ポリスが来て『ここで飲むことは条例で禁止されている。違反した場合は罰金140YTLであることを承知しておくように』と言渡して立ち去ったよ。区の条例だからね。知らない人もいるんで、先ずは警告することになっている。まあ、大袈裟に考える必要はない」と笑って取り合わなかった。
缶ビールを購入して、海峡沿いの芝地へ出ると、そこでは既に幾組かの家族連れがバーベキューを楽しんでいた。ムハレムが「家族連れがいるから、ここは遠慮しておこう」と言い、ハムザも同意して、波打ち際の岩場まで出ることにした。

ハムザ曰く「昨日は最初に岩場へ出てみると、未だ子供が沢山いたんで教育上良くないと思って場所を変えたところ、そこへポリスが登場したというわけさ。今日は時間も遅いから、岩場に子供たちがいることもないだろう」。
彼らも、それなりに周囲へ気を使いながら飲んでいるらしい。条例で禁止されたと言っても、余り無作法に飲んでもらっては困るという趣旨であって、このように気を使って飲む分には構わないのかもしれない。

ウスキュダル区政は、イスラム的な傾向があるとされている政府与党のAKP(公正発展党)の手中にあり、この条例は政教分離主義の立場から色々と批判もされているが、ハムザやムハレムたちは、もう少し柔軟に受け止めているようだ。そもそも彼らは皆AKPを支持しているのである。
波打ち際まで出ると、闇の中で静かに佇む海峡の向こうに、ライトアップされたトプカプ宮殿アヤソフィア、ブルーモスクの姿が浮かび上がっていた。一杯やるには最高のロケーションであるに違いない。

早速、めいめい適当な岩に腰掛けて飲み始めた。ところが、先ほどから携帯で話していたオカンは、携帯を耳から外すこともなく、手を振って“飲まない”と合図している。

私がハムザに、「オカンはどうしたんだ? そういえば最近やたらと携帯で話し込んでいるけれど、誰に電話しているのか?」と小声で訊いたら、彼女が出来たからビールなど飲んでいる場合じゃないそうだ。

「でも、あれじゃあ電話代が掛かって大変だよ」
「いや、あのぐらいマメに電話しなければいけない。マコト、女っていうのは猫みたいなもんで、いつも撫で回してやらないと、怒ってライオンのようになってしまうんだ」
「へえ、そんなもんかね。俺は用がなければ電話なんて掛けないけどな」
「駄目だよそんなことじゃ。だから君にはいつまで経っても彼女が出来ないんだ。まったくどうしようないよなあ」

そう言いながら、ハムザは如何にも残念そうに顔を顰めて見せた。どうやら、いつまで経っても彼女が出来ない年長の友人を心より心配してくれているようだ。実に有難いことで返す言葉もない。私は黙ってイスタンブールの夜景に乾杯した。
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