メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

英語教育は小学校から始めるべきじゃないでしょうか

トルコ語の文法は日本語と良く似ていて、疑問文には“ム”という疑問詞が文末についたりします。

例えば、「日本人か?」だったら「ジャポン・ム?」とすれば良いわけです。しかし、“何・誰・何処”といった代名詞が使われる文であればその限りではなく、名前を尋ねる場合には、「スィズィン(貴方の)・アドゥヌズ(名前)・ネ(何)?」と言えば良く、疑問詞をつける必要はありません。

91年に初めてイスタンブールへやって来て、ある安宿に泊まった時のこと。

安宿の主人は35歳ぐらいの男で、「俺は英語が良く分かる。君も英語を知っていれば、英語で話せたのに」と残念そうに話していました。

ところが、そこへ欧米のツーリストが現れると、彼は、そのぐらいなら私でも喋れそうな簡単な英語で宿の料金等を説明したのち、「アンダースタンド・ム?」とのたまわったのです。

まあ、日本語で言えば「“アンダースタンド”か?」といったところでしょう。その後も恥じ入る様子すらなく、『どうだ、俺の英語は大したもんだろう』とでも言うかのようにふんぞり返っていました。

もっと凄かったのは、「英語が分かる」と自己紹介したオスマンという男。外国人ツーリストを前にして、「マイ・ネーム・イズ・オスマン。スィズィン(貴方の)“マイネームイズ”ネ(何)?」とやらかしたものです。

とはいえ、トルコ人の英会話能力は全般的に日本人より上じゃないでしょうか? 観光地の土産物店などでは、中学校ぐらいしか出ていない店員さんであっても、上記のような積極性で瞬く間に簡単な英会話を習得してしまう程で、高等教育を受けた人たちは、それこそ流暢な英語を駆使しています。

しかし、イスタンブール在住で英語に堪能な韓国人のキムさんによれば、「韓国人とトルコ人が英語で交渉するのは考えものだ。いずれも“見栄っ張り”だから、“解らない”の一言が言えずに、とんでもない間違いが生じてしまう可能性がある」のだそうです。

「相手の英語力に不安を感じた場合は、私がトルコ語で話すようにしていますよ。これなら何かの間違いがあれば、向こうが指摘してくれますからね」。

スペイン語もある程度分かるキムさんは、「英語の難点は、発音が難しいところです。スペイン語は少し慣れれば、音が明確に聞き取れるようになります。名詞に性別があったりするから難しいなんていう人もいるけれど、性別を間違えたところで話は通じます。

これが英語の場合、発音を間違えたら話が通じなくなってしまうこともあるでしょう」と明らかにしていました。

母音は五つだけ、子音の数もさして多くない日本語を母語とする私にとっては、トルコ語の発音すら難しいくらいで、英語などは“悪魔の作った言語”じゃないかと思えてしまいます。

私は、韓国語もトルコ語も“耳から学ぶ”ということが全くできませんでした。先ずは文字と文法から入って読みながら勉強したのです。

日本語を殆ど読めないまま、器用に日本語を勉強して行くトルコ人がいるけれど、あれはどういうことなのか全く不思議で仕方がありません。

日本語にあってトルコ語に無い発音というのは、おそらく“つ”ぐらいなものだから、トルコ人が日本語を聞き取るのは、さほど難しいことじゃないのでしょう。

トルコ語は母音が八つあり、“R”と“L”や“V”と“B”の区別もあるから、トルコ人にとっては英語の発音も、日本人よりは遥かに楽なのかもしれません。

あるトルコ人の友人は、「日本人の“V”の発音には笑っちゃうよな」と言います。

「一生懸命、大袈裟に下唇を噛んで発音しているのに、出て来る音は“B”なんだよ。トルコ語の場合だったら、無理して“V”の発音をしようとせずに、“W”で言ってみた方がよっぽど通じる。例えば、ヴァン(Van)だったら、ワンと言えば良いんだ。ヴァンと言おうとすれば、バン(Ban)になってしまって、余計何のことだか解らなくなってしまう」。

最近、日本では、英語教育を小学校から始めるべきかどうかが議論になっているそうだけれど、耳が固まってしまう中学生になってからでは絶対に遅い、出来れば小学校の一年から英語教育を始めるべきじゃないかと私は思います。

それも、発音の怪しい日本人教師には一切喋らせずに、ネイティブの英語をテープでどんどん聴かせた方が良いでしょう。

私が中学校の時に、英語を担当していた先生は、“Th”の発音を教えるのに、歯と歯の間から舌をニュッと突き出しながら“ザッ”とやるので、『あんなことしたら舌を噛んでしまう』と恐れたたけれど、実際のところ、あれも“Th”の発音にはなっていなかったかもしれません。

 

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