メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

作家アフメット・アルタン氏とヒディヴ邸(2)

『作家アフメット・アルタン氏とヒディヴ邸(1)』で批判されているアフメット・アルタン氏が「gazetem.net」に書いた記事(04年5月31日)を読んで見たところ、これは、カラジャ女史の趣旨と同様に、民衆を扱き下ろすエリートを非難する「自己批判」的な内容となっています。

カラジャ氏の記事だけでは、アルタン氏も誤解されてしまうと思うので、カラジャ氏の記事で引用された部分の後に続く文章を訳してみました。

****(以下拙訳)

先ず、裏切りにあったように感じ、怒りがこみ上げてきた。それから、この美しい場所をこれほどまでに醜くさせるのは無慈悲なことだと思った。

ヒディヴ邸を「ムスリム」の連中が管理するようになり、この連中があらゆる美学に敵対しているのではないかとさえ感じた。

我々の如きケマリスト、そして政教分離主義者の恐れていたことを目の当たりにしたかのようだった。

残念ながら、信心深い同胞が触れたものは全て醜くなってしまう。宗教と優雅さ美しさは共存できないのか。

もしも、我が国の統治を「信心深い人たち」だけに任せたら、おそらくは国全体が街外れの結婚式場のようになってしまうだろう。

こんなことを考えながら、ふと気がつくと、この考えの底に、私を不愉快にさせているもう一つ別の奇妙な感覚がちらついていた。

そして、これに注意した時、考えてみたことが何故私を不愉快にさせたのか、その本来の理由を羞恥心と共に悟った。私は元々、我が国を醜くさせることに反対などしていなかったのである。

そもそもアナトリア(訳注:ここではトルコの大部分を占める農村地域といった意味になると思います)は、こういった「趣味の悪さ」を分かち合っていた。

私は、彼らが「私の領域」へ入ってくることに我慢がならなかった。この美しい都、この素晴らしいヒディヴ邸は、私のような人々に属しているのだ。

彼らは、アナトリアの地方都市や田舎町を思いのまま醜くさせることができる。至るところに焼肉の匂いを充満させ、子供の騒ぎ立てる声で静寂を乱し、珍妙な結婚式で笑顔を曇らせ、美学を呪う粗雑な感性で品の良い全てのものを台無しにしても構わない。

しかし、これを「私の領域」で行うことは許されなかった。

こういった私の反応は階級的なものであり、自分のテリトリーを守ろうとしていただけに違いない。

私は、この国の全てのエリートと同様に、「美学を知らない群集」が美しいところへ入り込んできて居座ることを嫌悪している自分に気がついてしまったのである。

彼らが、彼らの領域に留まっている限りは、どうやって生きようと、如何に美学や優雅さが欠如していようと、入り込んだ全ての場所を黴臭くさせてしまおうと、私たちの知ったことではなかった。

600年に亘ったオスマン朝と80年に亘る共和国の歴史を経た今でも、未だに、美学の蓄積が見られない、家庭でも学校でも子供たちに品の良さを身に着けさせることができない、そして、人々を芸術に親しませることができない責任を、やはりこの人々へ負わせようとしていた。

彼らに「ここへ入って来るな」と命じ、入り込んで来た彼らを発見するや、「シャリーアイスラム法)がやって来る」と、恐れ慄き金切り声を上げたのである。

実のところ、私のような人間が恐れていたのは、「シャリーアイスラム法)」ではなく、日常とその生活領域を覆うことになるであろう一種の「醜さ」であった。

政権を民衆の手に渡したくなかった連中も、私のような者が懐く「恐れ」を巧く利用していた。

この国には、もちろん、品の良い趣味を持ったエリートがいる。この人たちは、音楽の趣向や食生活、着こなしから結婚式に至るまで、民衆より遥かに成熟したエリートである。

しかし、この人たちも、以前よりヒディヴ邸のような父祖伝来の屋敷を歩き回り、長年に亘って政権と富を掌握してきた結果、その美学のレベルに到達したはずだ。

民衆もヒディヴ邸のような所を歩き回り、政権と富の味に満足した後こそ、同じレベルへ到達することだろう。

彼らのことを、お屋敷や富、教育、そして政権から遠ざけていたのに、今になってその粗雑さを責めるのは、正直言って、恥ずべき二面性のように思えてならない。

私はもう二度とヒディヴ邸を訪れないことにした。彼らをこれほどまでに未熟な生活形態に閉じ込め、「イスラム的な政権」に、美学を敵視する「階級的な怒り」を植え付けてしまった「私たち」の罪を、この都でもっと自分を殻に閉じ込めながら贖うことにする。

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