メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのモダンな顔とモダンな化粧(ザマン紙/エリフ・シャファック氏のコラム)

2004年3月7日付けのザマン紙日曜版。アメリカで暮らしている若手女流作家のエリフ・シャファック氏のコラムを訳してみました。新進気鋭の作家とあって原文はなかなか凝った調子であり、巧く訳すことが出来ずに、かなり意訳となってしまいました。

****(以下拙訳)

その女性は、講演を終えた私に、こう語りかけてきた。

「モダンなトルコを代表する貴方のような女性に、イスラム僧であるとか何とか、そういう古くさい言葉が相応しいとは思えませんよ」。

アメリカ人からなる聴衆の中で、他の人たちが解らないようにトルコ語で語りかけてきたのである。

「内輪の恥をさらしたくはありませんから、後ほどそちらでお話しましょう」と言うその女性は、身嗜みも良く気品があり、60歳ぐらいに見えた。

怒っているというより、落胆したような表情で、「全く相応しくありません。残念なことですね」と言うのだった。

後から、演壇に近づき自己紹介したところによれば、1946年にイスタンブールで生まれ、20年前にアメリカへやって来て、ある会社で働きながら子女を育てた。

文学に余り関心はないが、文学者の話を聴くのは好きなんだそうである。

トルコ文学で最後に何を読まれたのか尋ねてみると、恥ずかしそうに「オメル・セイフェッティンを読んでましたね」と微笑み、「本を読めるような時間はそんなにありませんでした」と言い添えた。

アメリカで暮らし、都会的に洗練された教養のある多くのトルコ人女性と同様に、彼女もトルコがもっと美しく紹介されることを望んだのだろう。

「魔法の杖があったら、それでもって直ぐにでも西洋人の持つトルコに対する誤解を解いてしまいたいですねえ。

映画『ミッドナイト・エクスプレス』や人権無視といったような悪いイメージばかりでトルコが語られているでしょ。彼らは私たちのことを知らないんです。私たちも自分たちのことを伝えていません。

貴方も私たちを代表しなければならないのに、すたれた古くさい言葉やイスラム僧のことで時間を無駄にしています。アメリカの隅々を回り、トルコ人女性の代表となって下さい」

これは世紀の願いである。しかし、代表して何を伝えるのか。

ヨーロッパが私たちを聞いてくれたら、アメリカが私たちの価値を理解してくれたら。

トルコの文学、トルコの国産ブルージーン、コンサートにファションショー。どんなトルコ人女性を欧米に見せようと言うのだろう。

しかし、全てのトルコ人女性がそういうトルコ人女性ではないのである。皆がそのクラブへ入れるわけではないのだ。

すたれた言葉というが、いつ誰がその言葉に寿命が来たと決めたのだろう。

英語で8万の単語を使いながら表現することを学んでいる高校生が、トルコ語は5千ばかりの単語で済ませていたらどうなるのか。

住んでいる街の名前がどういう意味になるのか知らない世代がイスタンブールにはいるのである。

オスマン語と言われている言葉のトーンも聞き分けられないほど耳が鈍くなっては、次の世代へ文化や言語をどうやって伝えることが出来るのか。

左派、右派と別れて、その考え方や言葉を分かち合おうとしないのであれば、一体どうなるのだろう。

長い年月をかけて積み重ねられた膨大なイスラム神秘主義の財産を「イスラム僧であるとか何とか」と言って片付けてしまおうとする。

左派の人たちが神秘主義を軽蔑し、右派の人たちは神秘主義を自分たちだけの領域であるかのように考え、門外漢を拒んで権威的な傾向を深める。

そして、こういったことについて無知であってもそれを何とも感じていないのであれば、私は「モダンなトルコ人女性」として何を誇ったら良いのか?

トルコにモダンな顔などない。モダンな化粧をしているだけだ。

夜、亭主からぶん殴られたその翌朝、外出する前に、結婚生活の不幸を隠そうとして、紫色に腫上った顔へ厚化粧を施す女と同じである。

たっぷりの水でその化粧を洗い流してしまえば、つらいかもしれないが晴れ晴れしい笑顔をみせることができるはずだ。

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私が暮らしたことのある国は、日本と韓国、そしてトルコですが、この記事にも書かれている自国文化に対するコンプレックスのようなものは、いずれの国にも共通した問題であるように感じています。

87年に初めて韓国を訪れた頃、韓国では自尊心ばかりが語られていました。それが、この頃はコンプレックスについての意見も多く聞かれるようです。韓国もいよいよ自信を深めてきたということなのでしょう。

しかし、韓国ほどコンプレックスとの葛藤を乗り越えることに長けている国もないのではないかと、私は考えてみたこともあります。

韓国の人たちには失礼ですが、歴史的な試練の中でそれを乗り越える術を身につけてきたような気がするのです。

日本にとってもこれは難しい問題ですが、オスマン帝国の栄光を背負っているトルコは、もっと難しい状況にあるのかもしれません。しかし、この記事を書いたシャファック氏のような若い世代は、既にこれを克服しつつあるように思います。


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