2004年3月1日付けのラディカル紙。不倫の子を生んだ女性を実の兄弟が拳銃で撃ち殺した事件の詳細が明らかにされています。
****(以下拙訳)
ギュルドュンヤは死の影に怯えながら数ヶ月を過ごしている。その間、2度に亘って死の危険が迫った。
警察に保護を求めることで一時的な安堵を得ても、その度に問題が残ったまま保護を解かれていた。
最初の危機から逃れた時、警察は「殺さない」と約束させ、信頼の置ける人物に預けるということだけで引き下がった。
しかし、家族はこの約束に、銃弾を撃ちこむことで応えた。そして、負傷したギュルドュンヤにとっては病院も安全ではなかったのだ。
女性弁護士たちは保護を疎かにした警察を告訴する予定である。
▽従兄と禁断の恋
ギュルドュンヤ・トレンがイスタンブールで22歳の生涯に幕を閉じる物語は、ビトゥリス県ギュロイマク郡のブダクル村で始まる。家族はシェゴ部族に属しており、この地域における全ての家族と同様に伝来の風習に忠実な大家族だった。
ギュロイマク郡で商いを営んでいた27歳のセルベット・タシュも家族の一員であり、ギュルドュンヤにとっては母方の従兄にあたるばかりでなく、父方の従姉妹の配偶者でもあった。
子供も二人いたが、ギュルドュンヤは一緒に育ったこの従兄へ、全てを擲てるほどの愛を感じていた。そして、ギュルドュンヤとセルベットの禁断の恋が始まり、秘密の逢瀬を重ねた末、ギュルドュンヤは妊娠してしまう。
▽最初から死の判決が下されたわけではない
ギュルドュンヤはお腹のふくらみを隠そうとしたが、家族にみつかり一室へ監禁され、問い詰められたあげく、身篭った子の父親がセルベットであることを告白する。
セルベットはこれを問われると、最初は否定したものの、結局は事実を認めた。
家族からこの事件を聞いたシェゴ部族の長老たちは、セルベットがギュルドュンヤを妾として引き取り、村を出て行くように命じる。
セルベットは承諾したが、ギュルドュンヤにこれを拒否されると、一人で逃げてしまう。しかし、ギュルドュンヤには行くところがなかった。
家族は彼女をイスタンブールのファティフに住む叔父のメフメット・トレンのもとへ送ることにした。
▽自殺を強要する
ギュルドュンヤは叔父のもとで、殺される恐怖に怯えながら暮らし始める。叔父は「お前を誰かと結婚させよう。しかし、子供を何と説明したら良いのか」と言うのだった。
ギュルドュンヤは、生まれて来る子供が殺されてしまうのではないかと怖れた。
6ヶ月前、ビトゥリスからやって来た兄イルファンの目的は、ギュルドュンヤを殺すことだった。
しかし、ギュルドュンヤの部屋に入ったものの、殺すことはできず、彼女にロープを手渡し、首を吊るように言って外へ出た。
ギュルドュンヤは窓から逃げ出し、警察に保護を求めると、全てを説明して「殺される」と訴えた。警察は叔父のメフメットと兄のイルファンを署に呼び、ギュルドュンヤを殺さないことを約束させるが、彼女はこれを信用しなかった。
ギュルドュンヤが信頼できる唯一の人物は、友人の父親であり、ビトゥリスの村で長いことイマーム(イスラムの導師)を務めたアラッティン・ジェイラン氏だったので、警察に、ジェイラン氏のもとで暮らしたいと相談。家族がこれを了承すると、警察はギュルドュンヤを叔父に引き取らせ、叔父も彼女をジェイラン氏のもとへ連れていった。
しかし、ギュルドュンヤの為には、より安全な県社会事業部の施設やキュチュックチェケメジェの女性保護ホームもあったのである。
アラッティン・ジェイラン氏は5年前にイマームを定年となり、イスタンブールのキュチュックチェケメジェに住んでいた。
ジェイラン氏は、あの地域の風習による掟を知っていたから緊張していたが、ギュルドュンヤを我が子と同じように扱った。
▽赤ちゃんの名は「希望」
2003年12月1日、ギュルドュンヤは健康な男子を無事に出産した。将来に何の希望も持っていなかった彼女は、赤ちゃんをユミット(希望)と名づける。
そして、赤ちゃんが家族により殺されてしまうことを怖れた為、情が移る前に友人のもとへ養子として預けた。
彼女は2日間部屋に閉じこもって何も食べずに、ただ泣き続けた。しかし、こうするより他に赤ちゃんを救う方法がないことも知っていた。
出産後、家族からは誰も来なかったし、脅されるようなこともなかった。人生をやり直せると信じ始めたギュルドュンヤは、ジェイラン家の人たちに仕事を見つけてほしいと頼んだ。
▽部族会議
しかし、ビトゥリスでは噂が広がっていた。1ヵ月半前、シェゴ部族が再び会合を開いたところ、何人かは掟に従うことを望んだ。
2月の初旬、ギュルドュンヤの父シェリフ・トレンがジェイラン家を訪れ2日間泊まって行ったものの、娘の顔を全く見ようとはしなかった。
父シェリフがビトゥリスに戻ってから数日経った2月25日、今度は24歳の兄イルファンがやって来た。
イルファンは、ギュルドュンヤをブルサの叔母のもとへ連れて行き、そこで仕事につけさせるつもりだと言う。ジェイラン氏は、ギュルドュンヤへ荷物をまとめるように言ったが、「その必要はない」とイルファンが言い出した為、不安を覚えた。
ギュルドュンヤも怖れていた。ジェイラン氏は「バスターミナルまで一緒に行こう」と言った。
▽待ち伏せていた弟
ギュルドュンヤ、イルファン、ジェイラン氏は正午頃に家を出た。100mほど先のギュベルヂン通りまで出たところ、イルファンがタクシーを呼んで来ると言ってその場を離れた。
そこには、ギュルドュンヤの20歳になる弟フェリト・トレンが待ち伏せていたのである。
ギュルドュンヤが、手をコートの中に隠しながら近づいてくる弟フェリトを見た刹那、彼は銃を取り出し発砲した。
銃弾はギュルドュンヤの臀部に命中したが、ジェイラン氏が彼女を守ろうとして上に覆い被さると、フェリトは止めを刺さずに逃走。イルファンもその後を追った。
▽病院で一人に
ジェイラン氏はギュルドュンヤを近くの病院に連れて行き、そこから、バクルキョイ国立病院に移送されたギュルドュンヤは直ぐに手術を受けた。
病院には、ジェイラン氏から聞きつけた叔父メフメット・トレンも来たが、ギュルドュンヤはこの叔父を怖れていた。
病院の通報により到着した警察から事情聴取されたギュルドュンヤは、全てを説明した上で、弟を告訴しないと言った。
警察は、彼女を撃った弟が未だ捕まっていなかったにも拘わらず、一人の護衛も残さずに病院を後にしてしまう。
ところが、緊急治療室にギュルドュンヤが横たわっている時、病院の中庭には二人の兄弟が潜んでいたのである。
深夜3時45分、兄弟の内の一人が「付き添いの者だ」といって中へ入り、銃身をギュルドュンヤの頭にあてがい、2発撃ち込んだ。
病院の警備員は、足早に立ち去った浅黒い若者を目撃している。その姿はフェリトに似ていた。彼は逃げおおせてしまったのだ。
いくらも経たない内にギュルドュンヤは脳死状態となった。病院の関係者は家族を呼び、ギュルドュンヤに対して、死の判決を下したこの家族に、生命維持装置を外すかどうかを尋ねた。答えは言うまでもなく明白だった。
家族は当初、遺体を引き取りたくないと申し出たが、部族が間に入って引き取らせるようにした。
▽部族による埋葬
昨日、父シェリフ・トレンと近親者たちは60台の車でコンボイを組み、ビンギョル県との境界まで遺体の到着を迎えに出ている。
コンボイが遺体と共にブダクル村へ戻ると、今度はこれを2000人が出迎えた。父シェリフは、ギュルドュンヤが家族会議の下した判決により殺されたという主張を否定し、彼女を生かす為にイスタンブールへ送ったのだと語った。
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