クズルック村の工場で昼休みに新聞(トルコの大衆紙)を読んでいると、ライン長とかグループ長を務める娘どもが5人ほどやって来て、「何を読んでいるの、面白い話ある?」とか言いながら覗きこむ。
中には亭主持ちもいれば、スカーフを被っている娘もいたりと色々だが、口さがなく、人の揚げ足を取って喜んだりするところは共通していて、かしましいことこの上もない。
どうも嫌な予感がしたので、場所を変えようとすると、グループ長の娘に肩口の辺りをグッと押され、逃げ場を失ってしまった。
この娘は淡褐色の長い髪に目、純西洋風の面立ちでまことに美人ではあるが、「今日は一段と綺麗ですね」などとお愛想を言おうものなら、「私はいつも綺麗です。解りませんでした?」なんて言う始末、男まさりのじゃじゃ馬で全く手におえない。
トルコでは、スカーフを被っているような女性であっても、わりと馴れ馴れしく男の肩に手を置いたりする。
握手の習慣もあるので、体が触れ合うことにそれほど抵抗がないのかも知れない。
さすがにスカーフを被っている人はあまりそこまでしないが、ごく普通の挨拶として単なる知り合いの男性と握手しながら頬と頬を摺り寄せ合ったりすることもあり、私も初めて妙齢の女性にさっと頬を寄せられた時には随分驚いた。
イスタンブールで日本人と接する機会の多い結構敬虔な女性に、「日本人男性の肩なんかに何気なく触れたりすると、ビクッとして身を引いたりするのよね。あれって何なのかしら?」と言われたこともある。
話に熱中すると平気でこちらの膝頭をつかんだりする女性もいるから、我々がビクッとするのも無理はない。
こんな様子を見ていると、共和国になって政教分離などの改革が始まる前から、この国の社会はかなり開放的であったという話も容易に納得できる。
その日の新聞には、トルコで初の野球協会が設立されたとか、南東部のシュルナックには野球と類似した伝統的な遊戯があって野球のルーツかも知れない、なんていう記事が出ていた。
シュルナックと云えば、反政府クルド人ゲリラPKKが最初に蜂起したところである。
早速、かしまし娘が、「シュルナックよ、ボールじゃなくて人の頭でもひっぱたいているんじゃないの?」とちゃちゃを入れる。
確かに、おとなしいこの辺の人達に比べ、生活環境の厳しいシュルナック辺りのクルド人には気性の激しいものがあるかも知れない。
それから、娘どもが、日本にはどんな遊戯があるんだとか喧しく話掛け、新聞を読むどころではなくなってしまった。
しかし、日本で子供達がどうやって遊んでいるか説明すると、似たような遊びがトルコにもあるそうで、私もこれには興味深いものを感じ、思いがけず話が盛り上る。
女の子が「ままごと」遊びをするのは当然として、地面に沢山輪を描き、その輪の上をケンケンしながら前進する遊戯などがトルコにもあって、女の子の遊びであるところまで共通していたりするのはちょっと不思議な感じがする。
他に「だるまさんがころんだ」と類似するものもあり『他の国ではどうなっているのだろう?』と気になる。
極めつけは男の子が数人のチームを組んで遊ぶ「なが馬」。
壁を背にして立った子の股座へ次の子が頭を突っ込んで中腰の姿勢を取り、後ろ向きになったその子の股座へ次の子がまた頭を突っ込んで同じ姿勢を取るというように、順順に股座へ頭を突っ込んで、長い「馬」を作ると、もう一方のチームの子供達が次から次へと「馬」に飛び乗って「馬」が潰れてしまえば勝負有り、というあの遊びだ。
これは実際に、イズミルやイスタンブールの街角でも見かけたことがある。
トルコでは「ながロバ」と云い、このクズルック村のあたりでもポピュラーな様子である。
じゃじゃ馬は「どう? 一緒にながロバで遊ぼうか?」などと言って人をからかう。これに私も、『いつも言われっぱなしでなるものか。おじさんもたまには反撃せねば』と思い、
「日本ではどこの街にも、ひとりぐらいは変わった女の子がいて、男の子と一緒にながロバで遊んでいたりするけど、この辺りではどうなんだろう。やっぱり変な子がいるのかな?」とやったら、皆じゃじゃ馬を指して大笑い。調子に乗って、
「皆知っているかな? 子供の頃、ながロバで遊んでいたような娘も、大人になれば大概は普通の女性になるんだよ。でも、女の子と一緒にままごとしていた男の子は、大人になってもこれが大概普通の男にはならないんだな」
これは大分受けたらしく、手応え充分。皆の笑いがおさまるのを待ってから、
「あっ、ところでこの娘は普通なのかな?」
これで爆笑、当のじゃじゃ馬も大口開けて笑っている。してやったりと思っていたら、誰かが
「ちょっと待って、マコトはままごとしていたんじゃないの?」
すると娘どもは口々に
「キャー、マコトままごとしてたんだ」
「ほら、答えられなくて汗かいているわよ」
と囃したて、あっという間に形勢逆転。おじさんは、やはりおとなしく早々に退散すべきだったようである。