メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

禁断の恋

昔、イスタンブールで出会った日本人のおじさん、「イスタンブールには頭をスカーフで覆った女性が少ないんだね。僕はあれにそそられるんだよなぁ」と残念がっていた。彼がこの村に来たら大喜びだったに違いない。

工場で、いつもきちっと髪をスカーフで覆っている娘。これがまたなかなかの美人なんだが、この娘は詩を書いたりするのが好きで、その詩をよく写真と一緒に自分の持ち場へ張り出したりしている。

ある日何気なくそれを見たら、長い黒髪を露わにした彼女が写っているのである。その時、思わず何かこう、いけないものを見てしまったような気がして、熱いものを感じてしまった。

しかも、詩の題名は「恋」。これってやっぱり、彼女も誰かに感じてもらおうと仕組んだことなんだろうか。女心の読めない私には、この辺のところが何とも良く判らない。

さて、去年から1年がかりで、オスマン朝の末期を舞台にしたトルコ語の小説を読み終えた。この本を知ったのは、テレビの「文学案内」という感じの番組だった。

そこで、「教養おばさま」って雰囲気の司会者が、「この作家は男であるにも拘わらず、女性の心理を的確に捉えているので驚きました」とか言っているのを聞いて、これはトルコで女心を知る為にもぜひ読んで見なければと思ったのだ。

ところで、今読み終わって見ると、あの「教養おばさま」は一体どういう女性だったのだろうと考えてしまう。

何故なら、この小説に出てくる女性は、はっきり言って、皆淫乱である。どんなに淫らなことを思っているのか、そういう心理描写が延々と続く。おばさまは、果たしてどこで驚いたのだろう、ぜひとも訊いてみたいところだ。

この小説のヒロインは、堅物のイスラム僧と別れた後、フランス帰りの伊達男と再婚し、そこで初めて性の喜びを知るのだが、物語も終りに近づいたところで、こう告白する。

「夫とは燃えることができるけど、快感を共有することはできない。私の感じている喜悦を解かっているのは前夫だけ。何故なら、彼には性に対する罪の意識があるから」

やはり、いけないものには快感があるようだ。この村の娘たちも、男の前でスカーフを外す時、罪の意識に悶えているのだろうか?