昨日、神戸駅の方から歩いてきて、「シンチャオ」でバインミーを食べた後、新開地から山電に乗ろうと思って県道に出たら、「FUKUHARA/柳筋」と大きく記されたアーチ状の標識が見えた。
まだこの辺りの位置関係が良く解っていなかったため、『福原はここだったのか?』と意外に感じ、そのままアーチを潜って福原の街に入ってみた。
福原はかつての遊廓があった所で、今はソープランドが軒を連ねる風俗街になっている。
とはいえ、朝の10時前とあって人通りも殆どなく、街は閑散としていた。
「聖スムーチ女学園」なんて面白い看板が出ていたので、スマホで写真を撮っていたら、中から現れた蝶ネクタイ姿のおじさんに「どうぞ、サービスしますよ!」と声をかけられてしまった。どうやら既に営業しているようだ。午前中から頑張る人たちもいるらしい。
果たして、コロナ騒ぎの間中、こんな調子だったのだろうか? まあ、ソープランドはAIDSさえもゴムを被せるだけで乗り切ったのだから、コロナぐらいで怯むことなどなかったのかもしれない。
この柳筋を通り過ぎ、福原筋から元の県道に戻ろうとすると、その角に「金刀比羅宮神戸分社」という神社が佇んでいる。
吉原にも「吉原神社」があるのだから驚いてはいけないが、こういう聖と俗の交差はなかなか興味深い。
その先のソープランドの前には、ちょうど中へ入って行く3人の若者たちの姿があった。こうして頑張る人たちがいるために、店も朝から営業するのだろう。
県道に戻って、新開地駅の方へ曲がったら、そこに「文明堂」の看板が出ている。これにも何だか驚かされた。ここが神戸の本店だそうである。
格式のある老舗の菓子店がソープ街の直ぐ隣に位置しているのはアンバランスのようにも見えるけれど、浅草で言問い通りの直ぐ先が吉原になっているようなものだと思えば良いのかもしれない。
そんなことを考えながら、驚かされたついでに文明堂でカステラのハーフサイズを購入してしまった。家に帰ってから、早速食べてみたが、カステラを食べたのは何年ぶりのことだっただろう? しっとりとした甘さにとても満足した。
それから、カステラの由来等をウイキペディアで調べてみたところ、以下のような記述がある。
「・・・西日本においては、原型のパウンドケーキのようなさっくりとした感触が好まれなかったと見られる。伝来当時、平戸藩松浦家において、南蛮菓子としてカステラが宴会に出された時、その味に馴染めず、包丁方(料理人)がカステラを砂糖蜜で煮たという逸話もあり、これが上述の平戸名産『カスドース』の原型になったという説もある。・・・」
この「カステラを砂糖蜜で煮た」という件では、トルコの「レヴァーニ」という菓子が思い浮かんだ。レヴァーニもパウンドケーキのような生地に糖蜜をしみ込ませた菓子である。
他にも、「エキメッキ・カダイフ」をはじめとして、生地に糖蜜をしみ込ませた菓子がトルコには多い。
トルコの人たちも「パウンドケーキのようなさっくりとした感触」を好まなかったのだろうか?
ところで、レヴァーニについて、トルコ語版のウイキペディアで調べてみたら、「オスマン帝国時代、アルメニアのエレヴァンが征服されたのを祝して、宮廷の料理人が作り上げた」とその由来が明らかにされていたので驚いた。
しかし、昨日、福原の街を歩き、文明堂でカステラを買って来なければ、レヴァーニの由来を知ることもなかっただろう。めぐり合わせというのは、何とも不思議なものだと思う。