メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

紅葉の再度山~新開地でランチ!

今日の夜勤明け散歩、まずは職場から三宮、再度山公園を経て、神戸電鉄鈴蘭台駅まで歩いた。3時間半ぐらいのコース。

小雨が降り続いて、歩くのは往生したけれど、紅葉の名所と言われる再度山公園で、小雨に煙る紅葉はなかなか見応えがあった。

鈴蘭台からは神戸電鉄で新開地へ。

神戸電鉄には、新開地から有馬に行く路線と小野市の方へ向かう路線があって、いずれも山岳鉄道のように山間の曲がりくねった鉄路を走り、鉄道オタクにとっては堪らない魅力がある。

もちろん、今日も鈴蘭台で先頭車両に乗り込み、新開地まで前方の車窓風景を満喫させてもらった。

最近は、夜勤明け散歩の度に新開地の方へ来ている。この街は、東京でいえば浅草のような感じで本当に楽しい。

かつてはハイカラな繁華街だったそうだが、ちょっと寂れてしまって、隣接する風俗街の方が目立っているところも何だか浅草に似ている。

色々なものがごちゃごちゃと混ざり合っているのも面白いし、私にとっては故郷に戻って来たような安堵が感じられる街でもある。

今日は、そのハイカラの名残とも言えるような老舗の洋食店でランチを食べて来た。

この洋食店「グリル一平」は、三宮と元町に支店を構えているけれど、新開地よりもそういう洒落た街の雰囲気が似合っているかもしれない。ランチも1000円以上で決して安くなかった。

しかし、気取らない接客が心地よく、レジの所に、来店したガッツ石松さんの写真が貼り出してあったりして、その辺りが新開地らしい。わざわざ本店まで来た甲斐があったと思う。

そして、朝食抜きで3時間半歩いた後に食べたランチは感動的に美味かった。

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孫文記念館/毛沢東とアタテュルク

昨日の夜勤明け散歩は、「福原と文明堂」の後にも続きがある。カステラを買うと、新開地で山電に乗って舞子に向かったのだ。

11月2日の夜勤明け散歩で、駒ヶ林から舞子まで歩き、明石海峡大橋の袂に洒落た洋館があるのを見た。家に帰ってから調べて、その洋館は孫文の記念館であることが解った。昨日はそれを見に行ったのである。

記念館は、明治から大正にかけて活躍した華僑の実業家、呉錦堂の別荘だった建物であり、1984年に改装されて開館したという。

呉錦堂は孫文の有力な支援者だったため、1913年に来日した孫文の歓迎会はここで催されたそうだ。

呉錦堂の子孫の方は今も西宮にお住まいで、記念館を訪れることもあるらしい。

三宮から北野辺りの高級住宅地を歩くと、「劉」や「趙」といった中国姓の表札を良く見掛ける。呉錦堂の子孫の方も、そういった華僑の一人なのだろう。

記念館で明らかにされている孫文の業績等までここに記すつもりはないが、実のところ、私には孫文の業績というのがどうも良く解らないのである。

三民主義」を掲げ、辛亥革命を成し遂げて清朝を崩壊させたものの、その後、国家を統治して、新しい中国の建設に携わったというような事績は余り明らかになっていない。まさしく革命家であって、実務的な政治家ではなかったのかもしれない。

中国では、毛沢東も同様の革命家だったように思える。文化大革命により、古い中国を破壊しただけで、新しい中国の建設は後世に任せてしまった「偉大なる破壊者」と言ったら、中国の人に怒られるだろうか? 

しかし、文明を創造した中国には、おそらく、文明を破壊する大きな力も潜んでいたに違いない。

破壊のスケールは大分小さくなるけれど、日本では西郷隆盛が、この「偉大なる破壊者」に類していたのではないかと思う。そのため、西郷さんに愛着は感じても、その業績を問われたら、やはり何だか良く解らなくなってしまう。

とはいえ、日本の歴史を見ると、そういった破壊者、革命家は少なかったような気がする。日本では、調整力のある実務的な政治家が好まれて来たかもしれない。

そういう日本とは異なり、中国やフランス、ロシアには革命家が生まれやすい風土があるのだろう。

一方、トルコでは、アタテュルクが「革命家」として賞賛されたりもするけれど、アタテュルクの業績はかなり解りやすいのではないか。

アタテュルクには、実務的な政治家としての側面が際立っていた。バランスが取れた指導者であり、都度に常識的で当たり前な判断を下していたように感じられる。「破壊者」というより、明らかに「建設者」だったと思う。

政教分離の共和国革命も、タンズィマートの改革以来の流れを見れば、突拍子もない出来事じゃなかったようだ。

しかし、世界中の注目を集めるのは、突拍子もない極端な革命の物語であるかもしれない。だから、アタテュルクも、毛沢東のようには、世界で持て囃されなかった。常識的で当たり前な人物は、あまり面白くないのである。

日本の俗物である私から見たら、これは大変結構なことであるような気がする。

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福原と文明堂のカステラ~レヴァーニの由来

昨日、神戸駅の方から歩いてきて、「シンチャオ」でバインミーを食べた後、新開地から山電に乗ろうと思って県道に出たら、「FUKUHARA/柳筋」と大きく記されたアーチ状の標識が見えた。

まだこの辺りの位置関係が良く解っていなかったため、『福原はここだったのか?』と意外に感じ、そのままアーチを潜って福原の街に入ってみた。

福原はかつての遊廓があった所で、今はソープランドが軒を連ねる風俗街になっている。

とはいえ、朝の10時前とあって人通りも殆どなく、街は閑散としていた。

「聖スムーチ女学園」なんて面白い看板が出ていたので、スマホで写真を撮っていたら、中から現れた蝶ネクタイ姿のおじさんに「どうぞ、サービスしますよ!」と声をかけられてしまった。どうやら既に営業しているようだ。午前中から頑張る人たちもいるらしい。

果たして、コロナ騒ぎの間中、こんな調子だったのだろうか? まあ、ソープランドはAIDSさえもゴムを被せるだけで乗り切ったのだから、コロナぐらいで怯むことなどなかったのかもしれない。

この柳筋を通り過ぎ、福原筋から元の県道に戻ろうとすると、その角に「金刀比羅宮神戸分社」という神社が佇んでいる。

吉原にも「吉原神社」があるのだから驚いてはいけないが、こういう聖と俗の交差はなかなか興味深い。

その先のソープランドの前には、ちょうど中へ入って行く3人の若者たちの姿があった。こうして頑張る人たちがいるために、店も朝から営業するのだろう。

県道に戻って、新開地駅の方へ曲がったら、そこに「文明堂」の看板が出ている。これにも何だか驚かされた。ここが神戸の本店だそうである。

格式のある老舗の菓子店がソープ街の直ぐ隣に位置しているのはアンバランスのようにも見えるけれど、浅草で言問い通りの直ぐ先が吉原になっているようなものだと思えば良いのかもしれない。

そんなことを考えながら、驚かされたついでに文明堂でカステラのハーフサイズを購入してしまった。家に帰ってから、早速食べてみたが、カステラを食べたのは何年ぶりのことだっただろう? しっとりとした甘さにとても満足した。

それから、カステラの由来等をウイキペディアで調べてみたところ、以下のような記述がある。

「・・・西日本においては、原型のパウンドケーキのようなさっくりとした感触が好まれなかったと見られる。伝来当時、平戸藩松浦家において、南蛮菓子としてカステラが宴会に出された時、その味に馴染めず、包丁方(料理人)がカステラを砂糖蜜で煮たという逸話もあり、これが上述の平戸名産『カスドース』の原型になったという説もある。・・・」

この「カステラを砂糖蜜で煮た」という件では、トルコの「レヴァーニ」という菓子が思い浮かんだ。レヴァーニもパウンドケーキのような生地に糖蜜をしみ込ませた菓子である。

他にも、「エキメッキ・カダイフ」をはじめとして、生地に糖蜜をしみ込ませた菓子がトルコには多い。

トルコの人たちも「パウンドケーキのようなさっくりとした感触」を好まなかったのだろうか?

ところで、レヴァーニについて、トルコ語版のウイキペディアで調べてみたら、「オスマン帝国時代、アルメニアのエレヴァンが征服されたのを祝して、宮廷の料理人が作り上げた」とその由来が明らかにされていたので驚いた。

しかし、昨日、福原の街を歩き、文明堂でカステラを買って来なければ、レヴァーニの由来を知ることもなかっただろう。めぐり合わせというのは、何とも不思議なものだと思う。

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バインミー!!

今日の夜勤明け散歩、新開地に寄って「シンチャオ」という店で、ベトナムのサンドウィッチ「バインミー」を食べてみた。

先月、職場近くの屋台で食べたバインミーは、パンも美味しくて全体的に洗練された味覚になっていたけれど、それに比べて「シンチャオ」のバインミーは濃厚でエキゾチックな風味と言ったら良いだろうか? 

メニューには何種類ものバインミーがあって、そのどれもが美味しそうだ。あれを全て制覇するためには、また何度か寄ってみなければならない。

最近は食べる量をかなり減らしているから、サンドウィッチ1つでお腹一杯になってしまうのである。パンはもう少し小さくても良いのではないかと思った。

しかし、食欲旺盛だった20代でも、食べて本当に美味しいと感じられる量は、それほどでもなかったかもしれない。

特に酒を飲みながら食べていると、最後の方は味覚も麻痺して、ただ胃袋に押し込んでいただけのような気もする。

2tトラックで配送の仕事をしていた21~2歳の頃、自由が丘にあった中華料理店で、よくランチを食べた。

配送の途中、ちょうど昼時にその辺りを通るし、トラックが楽に駐車できたので、週に2~3回そこで食べていたような記憶がある。

自由が丘という場所柄、かなり高級な店だったけれど、ランチの定食は700円ぐらいと安かった。おそらく、ランチはほんのサービスで『気に入ったら、夜来てコース料理を楽しんで下さい』ということだったのだろう。

だから、ランチの定食と言えども手抜き無しの本格的な料理が日替わりで用意されていた。

21~2歳の私は、そこで昼ごとに料理を1品ずつ味わいながら、生意気に『1食に1品で充分。それ以上食べても何だか分からなくなる。この方が各料理の味を明確に舌で覚えることができるだろう』なんて考えたのである。こんな若造にランチをサービスしていた店の方は踏んだり蹴ったりだったに違いない。

しかし、毎朝、バインミーを1つずつ味わうのであれば、決して迷惑な客にはならないはずだ。これからも度々邪魔して1つ1つ制覇して行くことにしよう!

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参政権と国籍

トルコに居た頃、選挙が近づくと、イエニドアンの街の人たちから「マコト、お前は何処に投票するんだ?」と当たり前な顔で訊かれた。

「日本が二重国籍を認めていないので、私はトルコの国籍を持っていません」と答えると、「へええ、日本て、とても民族主義的なんだね」なんて驚いたりしていた。

トルコで参政権を得るためには、トルコの国籍が必要になる。

日本では、永住権を持っている外国籍の人たちへ地方参政権を付与すべきかどうかが議論されているけれど、トルコにはそもそも永住権という制度がない。

その代わり、5年以上トルコに居住している外国人は、申請すれば簡単に国籍が取得できるそうだ。二重国籍も認められているので、元の国籍を放棄する必要はない。

私もトルコにいた時分に国籍取得を申請していれば簡単にもらえただろう。そのため、トルコ国籍を持っていない理由として、「日本では二重国籍が認められていない」という要因を言い添えないと、『この日本人、凄い民族主義者だな』とか思われてしまうかもしれない。

トルコの人たちにとって、「国籍」などと言うのは、「戸籍」に毛が生えたぐらいの重みだったような気もする。

だから、外国への移住も簡単に決めてしまうのではないだろうか?

先月、ノーベル賞の受賞者が発表された際、米国籍の日本人受賞者が話題になっていたけれど、2015年に化学賞を受賞したアジズ・サンジャル氏は、トルコと米国の二重国籍者だった。

お陰で、トルコの人たちは、受賞を「祖国の誇り」として素直に喜べたのではないかと思う。

もしも、今回の衆議院選挙で「二重国籍を認めよう!」と積極的に主張する候補がいたら、私も「投票の様子を見るため」なんて言わずに、もっと真摯な気持ちで一票を投じることができたかもしれない。

merhaba-ajansi.hatenablog.com

 

 

日本とトルコの投票所の光景

10月31日の衆議院選挙、私は特に一票投じたいという気持ちもなかったけれど、投票の様子を見ておこうと思って行くことにした。投票が行われた小学校は家から自転車で5分もかからない所にある。

投票を終えたのは4時40分頃だったが、場内は人影も疎らで閑散としていた。もちろん、時間的に遅かったこともあるだろう。午前中には結構賑わっていたかもしれない。

イスタンブールの外れにあるイエニドアンに住んでいた2015年の11月、投票所になっていた近くの学校に様子を見に行ったけれど、その時は人の多さに驚かされた。投票率が常に80%を上回っているトルコならではの光景だったと思う。

場内には立ち入らなかったので、投票の方法は確認できなかったが、以下のYouTubeの動画では、2017年4月の憲法改正国民投票に際して、エルドアン大統領夫妻が投票している場面を見ることができる。

まずは身分証明書らしきものを提示して投票用紙とスタンプのようなものを受け取っている。憲法改正の是非の欄に判を押せば済むシステムになっているようだ。大統領夫妻は、もちろん「是」に判を押したのだろう。

投票用紙に判を押す記入コーナーは、カーテンが閉められるようになっていて、投票用紙も封筒に収めた上で投じている。何だかとても厳重なのである。

夫妻は封筒を孫たちに手渡して投票させるというテレビニュース用の演出を試みているが、エルドアン大統領は、一応、管理委員に許可を求めて笑いを誘っている。

強面を装ったり、笑顔を見せたり、大統領もなかなか忙しい。

しかし、日本の投票所では、隣の記入コーナーを簡単に覗くことが出来るけれど、あれで大丈夫なのだろうか?

東京の東池袋に住んでいた30年以上前の話だが、投票所でアパートの管理人さんに覗かれて、その支持政党への投票を強要されてしまったことがある。

トルコの投票所ぐらい厳重にしておいてくれたら、私は不正な一票を投じなくても済んだに違いない。とても残念である。

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10月31日:衆議院選挙の投票所

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10月31日:衆議院選挙の投票所

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2015年11月:イエニドアンの投票所

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2015年11月:イエニドアンの投票所




温泉で夢見心地!

今朝は、先月の夜勤明け散歩で発見した「湊山温泉」でゆったりと温泉気分を味わって来た。

先月は温泉まで3時間近く歩いたけれど、今回は電車とバスを乗り継いで50分ぐらいで着いてしまった。

都会の職場から1時間もかからない所に、まるで山間の一軒宿のような温泉があるのは何だかミステリアスな感じさえする。

温泉内の様子は以下のホームページを参照してもらいたいが、実際は温泉らしい匂いも漂っていて写真よりも遥かに風情がある。

少し温めの湯に浸かっていたら、夜勤明けの疲れもあって思わず微睡んだりして、本当に何処か遠くの温泉地に来ているのではないかと夢見たような気分になった。

温泉から出ると、直ぐ前にある「きしめん」という看板の掲げられた店で、きしめんと炊き込みご飯を頂いたけれど、これがまた素晴らしかった。

優しい出汁の味はもちろん、お店の素朴な雰囲気、人情味溢れるおばさんとの会話にも心が癒されたかのようだ。

今日は「連勤」の中の日で、明日また24時間勤務になるが、身も心もリフレッシュされて、とても充実した休日になったと思う。

これから、この駄文をブログに掲載すれば、あとは衆議院選挙の投票に行き、その後はビールを飲んでさっさと寝ることにする。きっと良い夢を見るだろう。

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